アイルランド、フィークル村発、ジグmeeting
オンライントークを思いついたのは2月。
下北沢の棚貸し書店に『見飽きるほどの虹』を置いている店子さん、ならぬ棚子さんがいらっしゃるんです!との情報を、アイルランド経由で教えてもらったのが、きっかけかもしれない。
よく知る街の一角に、自社の本をひっそりお奨めしてくれている棚のことを、ぐるっと地球をまわった場所に暮らす当の著者から教えてもらった(前回のジグ日記参照)。
それで思ったのだった。本のテーマである「小さな村の暮らし」の場所の、昼の光や音と一緒に、夜中の日本に向けたオンライントークを発信してもらってもいいかな、と。なんとなく、棚子さんのセレクトへの遠回しのお礼のような気持ちだった。
会議やレクチャーはオンラインを何度か使ってきたけれど、飲み会も投げ銭ライブも、なじめなかった。そのためにPCに向かって座っているのがなんだか辛いからだ。
一方で、小規模に丁寧に製作されたドキュメンタリーやインタビューはよく視聴するし好きなのだ。要は、どういうつもりで誰に発信するかだ、と考えることにした。
『見飽きるほどの虹』の望月えりかさんなら、「離れつつ」「親密な」時間をつくってくださるのではないかな。
旅には、いつ行けるのやらも、わからない。
楽器や床やテーブルの振動といっしょに接近して感じる音楽や出会いにも、なかなか戻れない。こちらのデバイスのスピーカーを、遠いところから――何時間時差があろうが、せめて同じ「今」という共有の場所に――響かせてもらってもいいかも、と。
そういうわけで、遠慮がちに、フィークル村のえりかさんに提案した。
せっかくだから、キッチンやテーブルから発信しもらって。
毛糸をつむぐ紡ぎ車を廻してもらったり。
子どもたちが画面をちらっと横切ったり。
テーブル越しにフィドルを演奏してもらったり、とだんだん欲が出て来た。
けれど、いやいや、トピックの枠は「大きくないサイズ」にしよう。
「村の話」と「家の話」だ。
感染数とか死者数とかワクチン回数とか、
それらに乗じた政局とか紛争とか陰謀論とか
失業も自殺もDVもホームレスもハウスレスも、こっちにもあっちにもあって
そのなかで泣くし、怒るし、抗うけれど、
そのしんどさ、辛さを、人生の中心におかなくていいはず。
…ということを、どう発信できるだろうかと、実はぎりぎりまで主催者は迷っていた。
(いまだに、主催者はちゃんと言語化できていない)
本心を言えば。
あれほど親密に集い、演奏し歌っていた人たちの暮らしは、どうなっているのだろう、
と心底、気がかりだったことが、オンライントークをお願いした大きな理由だった。
でも、やはり、そのしんどさ、辛さが、中心あるのではないはず。

おなじように、穏やかに、そこにあるものや、大事にされていること、
それらがどのように、そこにあるか、えりかさんなら伝えて下さると思っていた。

こんなエピソード、あんな画像や動画があるといいよね、
とメールやDropboxでやりとりし、
えりかさんにアイディア、画像、動画をたくさんご提案いただきました。
しかし、そもそもデジタルやオンラインに親しくなく、さほど親しくないままでいいや、と思っている主催者の準備はゆるゆると進み、なんとか形ができそうになったのが3月末頃。
およそのアイディアを固めていただいたところで、ようやく、さあこれを動かせなくては!とオンラインミーティング主催者向け基礎編と応用編を受講したり、看板を出さねばとチケットサイトをつくったり、Facebook やTwitterやらでお知らせしたり、
結構びくびく準備し、おそるおそる日程を決める、まで2か月ほどかかり…
ぎりぎり2週間前にやっと告知。
さあて、10人くらいは聞きに来てくれるだろうか。
ひっそり、ひととき親密な空間にできるかも。
しかし「親密」はともかく、「ひっそり」というところに矛盾がすでにあった。
じきに予約(参加無料でしたが、事前申込みの「ご招待チケット」制にしたので)が日々報告され、20人になって、ああよかったなあ、とおもっているうちに、80名、数日前に100名をこえていたのには、驚きました。
この時点でいくつかの追加作業をあわてて補い、なんども接続や切替えなどのリハーサルをしたりして、そのつど修正したり、微調整したり(あやうく、えりかさん本人が参加できない危機もあった大汗)。
当日までには申込みは120名をこえていて、オンラインは参加は歩留まり半分かな、とおもっていたところ、開始から(接続トラブルで10分以上の開始遅延があったにもかかわらず、お待ちいただき)終了まで80名前後の方が視聴して下さいました。ありがとうございました。
コロナの状況のなかで、なにをどう伝えるのか、迷いがありつつお願いしたオンライントークだった。けれど、トークに挿入する演奏動画についての、えりかさんのコメント・メモを見たとき、ああなにも心配しなくても伝わる、大丈夫、と思ったのだった。
タラケーリーバンドのコンサートをノートパソコンで見ながら、涙が止まらなくなったのを今でも思い出す。アイルランド音楽の持つエネルギー、懐かしい顔ぶれ、私たちの穏やかな日常が奪われてしまったことが心の底から恨めしく、悲しかったですね。
オンライン開催になった音楽祭のために演奏する地元ミュージシャンの、あたたかくてエネルギッシュな演奏。ほんの一部分の紹介だったけれど、音がながれたとたん「向こうの風景」が急にひろがった。Youtube動画はこちら。
紡ぎ車の動画も、撮影して挿入していただいた。
かすかで軽やかな音、穏やかな回転、やさしい緊張で、糸が生まれる様子。
えりかさんが音楽付きで再編集してYoutubeで公開しています。動画こちらです
そして最後のとっておき、パートナーのパット・オコナーさんのフィドル演奏。
オンラインライブというより、語りかけ、呼びかけるような響きでした。

記録音声から楽曲だけでもリンクをと思ったのですが、ノイズをかなりひろっていて断念。届いた演奏の輝きをお伝えできないので想像して下さい。
ゆったりしたテンポ(エアー)から、軽快な曲(リール)。
Dark Woman of the Glen(Air)/The Red Haired Lass(Reel)
“谷間に暮らす暗い色の髪(肌)の女性”と“赤毛の娘“の2曲でした。
届けて下さった時間、そしてその時間を共有してくださった方々に、あらためてお礼申し上げます。(なんども画面に登場して下さった、コロナの渦中で元気に誕生し、先月1歳になったばかりの、末っ子ちゃんにも感謝を。)
・ オンライントーク本編の抜粋は、追ってジグサイトで公開します。
・ 写真はすべて、トークで紹介した望月えりかさん撮影のものです。