ジグ日記 | 出版舎ジグ

サイトのオープンをまえに 1

そろそろ準備してきたサイトがオープンするので、その前にすこしだけ振り返って記しておきたい。

勤務していた会社を退職し、自分にたまっていたものを整理するのに2年はかかった。
病の急な発覚ののち数ヶ月で亡くなった母の、その七回忌をすませた父が突然に亡くなり、気にしていた親の健康と経済の問題が消えてしまったから、希望退職募集に応じた後は、遺品整理と「自分の整理」の日々だった。

ひととおり(かつ、いろいろの)気が済んで、あらためて編集・出版の仕事を始めようと思ったのは、自分が生活していくだけの対価を得た経験がそこにしかなかったから、それだけだと思う。

言葉で切り開くべきテーマを探し、ないし拾い、書く人と結びつけ、資源投入を会社(の上司)に許してもらうべく、あれこれ説得し「枠」をとりつける。書く人にその「枠」を説得し、なんとか書いてもらい原稿をもらい整理し、本が出るまで併走する。ブラッシュアップも(校正)、外回りを整えるのも(制作/装幀)、送り出す作業も(宣伝/営業)、少しだけ担うが、会社員だから、自分で責任を負える(自分の判断で進められる)範囲は非常に限定的で見通せない。印刷所から本が届くまでの間に、最初に走り始めたとき思い描いてた何かしらの中心は、ぼんやりしてくる。(できあがってくる本がよそよそしい顔つきなのは、初日注文がいったい何部か、とんでもない誤植がないか、ハラハラ・ヒヤヒヤしていることと無関係でない。)

この仕事をぐるぐる、両手や肩やらを使い、一時に数枚の皿回しをするように続ける。頭上にも膝にも、口にもくわえて、たくさんの皿をまわし、回転を止めるときも見事にキャッチして次のお皿を投げ上げる芸達者・優秀な人がちゃんといるのを横目に見ながら、しかし、この流れを滞らずに廻していくことができず、とても苦しかった。

自分の書いた企画書の一言一句をうたがって、長時間たちどまる。
書いてもらった文章の真意や埋もれている核を掘り当てようと長時間、凝視する。
「それ誰が読むの」と言われれば、しゃがみ込み考え込む。
「君がそれをやるべきなの?」と問われれば、誰か優れた人に手渡そうと右往左往する。
なにをやるべきなのか自分で考えるのが仕事だが、「そうです、それをやるべきです」という応答はない。いくつもアイディアを投げ出し、集めるだけ集めて塩漬けにした資料は数限りない。もっと活かせる人がいるはずと悩み(ないしは逃げ)、自分が企画らしきものを思いつくことにすら罪悪感をもった。「編集者」と呼ばれるのは嫌で、職業を問われると「会社員です」と答えた。これは非常にゆがんだ精神状態だ、と気づくのにも時間がかかった。
気づいてみれば、辞職にためらいはなかった。あまりに不健康だからだ。

変わらなかったのは、この人の本をつくりたい、この場所の本、この出来事の本を作りたいと切れ目なくいつも思い描いてしまう癖のようなもの。この「思い描き」のせいで、苦しさも大きくなっていたのだろうと、今は思う。

「その本をつくってみたらいい」と自分にGOサインをだす責任をもてばいいのだと気がつけば、あとはやるかやらないかだけ。できるだけ小さく、できるだけ身の丈で、できないものか。もともと「紙の本」は手間ひま・資源のかかった贅沢品かもしれない。その手間ひまに見合うもの。

出版業界や出版流通、小売り書店の現状認識や、小規模で持続可能な形の模索と挑戦は、私にとって、今はじめて自分で考えるべきこと、という位置に降りてきた。何を変えられるほどの身分ではないけれど、自分から巻き込まれていく宿題に、自分なりに向き合う資格はもてた、ということにしたい。

マイペースで、今度も何度も立ち止まりながら、すすみます。

↑

新刊のお知らせ