ジグ日記 | 出版舎ジグ

9月になればジグは その2

その原稿、というか、その「卒論」を読んだきっかけは些細なことからだったが、読みはじめると、淡々としていているのに初々しく、脱力しているようで生真面目な文章にひっぱられて読み終えてしまった。いくつかの場面ではなんともいえない感情がわいた。

書いている人は大学生で、人生で初めて出会った重度脳性麻痺の身体障害者である70代の男性のもとへ、週に一度の泊まりの介助※に通い、その介助の隙間時間にその人のいろいろな思い出話をきいて、興味を持ち、それを卒論をまとめてしまったのだ。

※ 介護ではなくて「介助」とよぶ。しかしその際に使っている条件や安全を支えている制度は「重度訪問介護」という名の、障害者総合支援法にもとづく制度である。

読みながら「なんともいえない感情」が湧いたのには理由があって、おそらくは読む人全てが同じ感情をもつわけではないと思う。経験したことのある手応え、とまどい、感情。私も大学生のころに、重度の脳性麻痺の女性のお宅に週1、2回(泊まりでない夜間が多かったと思う)介助に入っていたからだ。

その人は30代の女性で、高齢のご両親と一緒に住んでいたけれど、「親から自立した個人」として生きたいと、身の回りの日常生活や外出などの介助を、自力で(駅前や大学前でチラシを配ったり、友だちの友だちを引っ張ってきてもらったりして)ゲットしたボランティア学生や社会人でまわしていた。

それは1980年代の後半で、障害者総合支援法どころか、自立支援法も、障害者権利条約もまだだ。1975年が国連・障害者の権利宣言、1981年が国際障害者年、そのあと83~92年が国連障害者の10年、ようやくその最中だ。

いろいろと思い出すことはあるけれど、大学生が、アルバイトでもデートでも部活でも勉学でも就活でもなく、日常の身の回りの手伝い(それをケアという)で時間をすっかり使った後、とぼとぼ夜道を歩いて帰宅しながら、私は何なんだろう、この時間や経験は何になるんだろう、自己満足じゃないのか、他人の手足になってるだけ、しかも焼け石に水、などなど自分のやっていることがわからなくなることもしばしばだった。まあ青春であるが、それよりも、「えらいねえ」と突き放されて褒められるか、「何がおもしろいの」と遠ざけるか、どちらかの反応しか得られない「社会」にほぼほぼ絶望もしていた。

それ以上に私がバカだった。あのころ、重度身体障害者の自立生活の実現は本当に大変だったし、それ以上に、社会に対するチャレンジの時代だったはずだ。それを、彼ら彼女らは自力でやっていたのだ。大きな転換にむかっていく端境期のリアリティを、私は全く読めていなかった。

怒ると真剣で、ユーモアもあって、日常の約束事に妙なこだわりもあるせいで介助者をふりまわしていたその彼女は、私が会社員になって介助から遠ざかったころ、風邪をこじらせて亡くなった。お葬式でのぞいたお棺の中、生前と同じかたちに両腕をまげて小さく収まった彼女と久しぶりに対面した。彼女があんなに反抗し、私はほとんどお話ししたこともなかったご両親は、丁寧に静かに頭を下げた。そのようなことが一気に脳裏によみがえったのだが、回想はここまでにしておくとして。

そのころの私と同じ様な立ち位置で、ついこの春までの3年ほどを、ウエダモトムさんという男性の介助に通ったのが、書き手の岩下さんだ。私とはなにかが違う。上田さんという男性の穏やかさも、今は大学院に進む岩下青年の筆致の真摯な冷静さも、新鮮だった。

その違いは、「いまここ」の現在にいたる、時間の存在なんだろうと思った。障害当事者や、「障害者」をとりまく社会がのっぴきならず・否応なしに蓄積した時間、それらを生身に体験してきた上田さん、上田さんに出会い学んでいく岩下さん、それぞれが持ち・持たされている時間。つまりは「現代史」だ。ほかにいいようのないその「時間」を本にさせていただきたくて、お二人にお会いした。

そうして、春から夏がすぎて、やっとこの本の見本が届きました。
15日に発売です。ジグが9月に2冊つくる本、その1冊目です。

(まだつづく)

DSC_0101

↑

新刊のお知らせ