編集ってケアにちかい、のか
「編集ってケアに近い」。
どこまで本当だろうか。
どうしたらいいか分らなくなって、もうすこし、この言葉を、展開・回転させてみる。
私は兼業ソーシャルワーカーでもある。ボランティアのときもあれば、常勤だったり、非常勤だったりで、立場も収入も不安定、そろそろ整理すべきだが、それはともかく。
国家資格までふたつとったのは、他人の人生を結構左右する〝ソーシャルワーク〟の、さらに現場末端の〝ケアワーク〟は、その人のもっともセンシティブな領域に至近距離から触れる作業なのだから、それなりの心と頭の用意をすべきと思ったからだ。
その人のもっともセンシティブな領域に至近距離から触れる。
書籍編集もそうかも、とまたしても思う。他者がまだ読んでいない言葉・文章の、最初の読者(=至近距離)になり、読んだことをフィードバックし、そののち世に送り出す。書かれている言葉にこちらの言葉をすりあわせ、ぶつけ、ときに何かを混ぜたりする。
〝ソーシャルワーク〟の末端の〝ケアワーク〟*も、まずは言葉の作業からだ。
力仕事も、汚れ仕事も,書類仕事も、金銭を動かす仕事もあるけれど、まずは聞く、訊く、返す、問う、問われる、応える、答える。
* ソーシャルワークの末端の任務がケアワーク、というのは、ひとまずここでそうしておくだけの話。ソーシャルワークが専門職を指すのかは、ここではひとまずおき、ケアワークとケアの間に線引きするかどうかも、ここではひとまずおく。
その人の至近距離にいて、ある一線を超えては手を出さない・出せない。
その人のある場面に立ち会い、
何をどうしたらよいんだろう?
何をどうしてほしいんだろう?
という問いをもちつつ、
相手からの、
何をしてくれるっていうんだ?
どうすればいいっていうんだ?
の問いを受け続ける。
向き合う二者から始まるが、最終的には第三者(とそれ以降)に開いていく、までが仕事(と私は思う)。だが、どこまで開いたのか、見届けきれないこともある。
ウソとホントをブレンドして(≃個人情報に配慮して)、ふたつの経験を書いてみる。
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