ジグ日記 | 出版舎ジグ

編集ってケアにちかい、のか

(つづき)

「だから、何してくれるって言うんですか」

今度は何を返すべきだったか? ただ、私はもう一度、球をげ返しておきたかった、平らなニュアンスで。

「どうして、そんなことをおっしゃるんですか?」

振り返れば、否定的なニュアンスに響いたかもしれない――こちらはたいして何もできない、そんなことはご存じのはずなのに、何をしてほしくて駄々をこねているんですか?というような。いや、「こう響いたかもしれない」ではなく、私は「こう響かせたかった」。自分を振り返ってくれよ、と。

結果、玄関ドアに半身つけて立っていた私に返ってきた言葉は、
「そこ、どいてください、ここはプライベイトですよ」

「もう入りな」と言われ、子は部屋にはいってゆき、ドアは閉まった。
怒鳴り声と鳴き声は、いちおうは聞こえてこなくなった。

子は外に出されることはなかった。でも、部屋で起きることはわからない。
彼女の不満や怒りや気持ちを吐き出してもらうつもりが、ひとつも聞けなかった。
何を感じたか、何かを受け取ったかも、わからない。
むしろ遮断させてしまった?
部屋にすべて戻してしまった?
時間かせぎで結果、クールダウンになった?。

「それはどういう意味ですか」「どうしてそんなことをおっしゃるんですか」と返された言葉は、返された側にとっては、なにかシビアに迫られる、生々しい言葉だったろう、といまは思う。
私は間違えたかもしれない。そして、この手の間違いをしょっちゅうやっている気がする。

この話には、およそ1時間後の続きの出来事がある。
安定感と信頼感と柔らかい人柄がつまった別の人物が、玄関から出てきた母子に、たまたま会い――「たまたま」を装って「さりげなく」様子を見に行ったのだが――、ちらと声をかけたとたんに女性はしゃがみ込んで泣き出してしまった、のだった(後日伝聞)。

第三者の隣人もまきこんで、3人でとりとめなく気持ちを吐き出し合ったそうだ。

すこしだけ、思う。
彼女は、結果的に第三者に向かって開いたのだった。ひょっとしたら、私が生々しい質問をなげたから、傷口がひらいてあふれて、堰を切ったかもしれない、いや違うかもしれないけれど。

チームケアなら結果オーライだ。

編集ってケアにちかい、の話で言うなら、編集者は書く人に迫っていく「ファーストコンタクト」+「安心のセーフティネット」の二段構えで向き合うべきなんだろう。

キツい質問をザクザク出す校正と、やんわりよりそう編集が役割分担していた会社員時代もあったが、分業体制よりも必要なのは(時・空)間をおきつつ、手や目を離さないこと、「さりげなく」一緒にいることかもしれない。

ケアも、まずは、そうだ。その2も、追って書きます。

 


 

↑

新刊のお知らせ