性暴力について いまさらの
性暴力被害、ケアと回復、とくに子どものそれについて、現状をある程度分っておく必要が生じ、ここ数ヶ月、論文や雑誌や書籍を読んでいる。大久保記者をキャップとする朝日の取材班から、斎藤章佳さんの依存症・加害者臨床、櫻井鼓さんの司法臨床、藤岡淳子さんの治療教育的介入、臨床心理士・公認心理師・精神保健福祉士・助産師・保健師・産科医・ワンストップ支援センター・フェミニストカウンセリング、被害者の手記。
そのせいか訳の分らない嫌な変な夢を見るようになり、(猫が朝騒いで起こしに来るのに加え)早朝覚醒がひどくなり、寝不足デフォルトとなり、そのせいか日中にプチ「解離」が起きるようになった。「解離」というか、寝落ちとは違って何かをしている状態でほんの数十秒か1分くらい(と思う)、「自分はすでに死んで別の世界からこの世界を見ている」感覚と、ちょっとした吐き気が襲ってくる。
「あ、いまあれだ」と思って、よくよく自分を観察しようと身構えるうちそれは去る。なぜそうなるのか分らず、自分では「解離」と名付けている。DSM5でいうところの解離性障害とは関係ない(と思う)。なんらかストレスは関連してるだろう(と思う)。
小さな子どもの頃も10代も20代も、トラウマになるほどの性被害は受けてはいない(と思う)。中学・高校と満員電車通学だったので痴漢被害は日常的だったし、帰宅路上でやばかった遭遇もあったし、平均より遅めの性体験にともなう「傷」や、「ちゃんと扱ってもらえなかった」と思い返す事態もなくはない。だが性に関する??や?!や!!は、走って逃げるほどでなければ基本的にやりすごすもの、そういうものと思っていた。
NO means NOとか、性的同意という言葉がない時代に大人になったのだ。おそろしいことだと今思う。教えてもらえなかった、考えることなく「やりすごし」ていた(危険を感じたら殴り倒して逃げればいいと非現実的に考え、実際に殴って逃げおおせたこともある)。
刑法の不同意性交罪や、こども性暴力防止法、どころか、ストーカー規制法もDV法も、均等法も共同参画基本法もない時代に女子をやっていたのだ、よく無事だったな(本当の意味で無事だったどうだか)。
力の差がある関係に支配とコントロールが働き、システムの維持に利用され、利用することで力は暴力となり、抑えつけられた個人が壊れてしまうほどシステム維持の強度が高まると、それによって生じる歪みがシステム全体をもひずませ、そうなってやっと、さまざまな暴力への歯止めが要請され、児童、高齢者、障害者の順に虐待防止法がつくられ、パワハラ・セクハラの防止法ができ、いじめ防止の対策法ができ・・・とこれらすべてが2000年代にやっとできた代物なのだった。
現在も、性暴力防止法はこの国にはない。
力の差のひずみの暴力がそのまま構造として現存しているのがジェンダー構造で、性に関する領域のほとんどは、このジェンダー構造の枠で押さえ込まれ、ご丁寧にも教育担当省庁が「歯止め」をかけ、そのあげくの性搾取のマーケットがあり、そこに教育担当省庁の末端も棹さしている。解離と吐き気も起きようというものだ。
もうちょっと目をこらして勉強します。猫を触りつつ。
たくさんの方々の渾身の仕事がなされていることも見えてきます。私も自分の仕事、します。


