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香港 あなたはどこへ向かうのか 5 阿古智子

スターリー・シスターズ - 星の姉妹たち-その3

欧米諸国でも移民排斥の動きがあるが、「一国」の枠組みにある香港と中国の間においても、同様の問題が生じているのである。このように、社会保障や教育資源のパイの奪い合いという観点から新移民の存在が問題視される一方、大学進学や就職などにおいても、古くから香港に住む人たちが新移民と競争しなければならないという局面もある。


エミリーの両親は、彼女の将来をどう考えているのだろうか。エミリーには妹もいる。

E「私の3歳年下の妹は現在台湾におり、大学4年生です。妹はデザインや設計を学んでいます。今回、デモが始まった時、妹は香港にいませんでしたが、インスタグラムで情報を発信していました。彼女はもともと政治には関心がなかったので、私はびっくりしました。他の香港人の学生たちと一緒に、台湾の大学のキャンパス内にポスターを貼ったりして、積極的に活動しているようです。

E「最近台湾に留学する香港人学生が増えています。私の妹は英語が苦手で、高い英語力を要求する香港の大学には入れませんでした。中国大陸には留学したくないと言うし、そのほかの海外の大学に妹を留学させる余裕はうちの家にはありません。それで、台湾がよいということになりました。将来の仕事として、妹はゲームの設計に興味があるようですが、台湾は給与が低いですよね。小さな会社でも、妹がやりたい仕事と考えれば、台湾の方が香港よりよいと思うのですが、給与を考えたら厳しいかもしれません。

E「親は安定しているし、仕事もあまりきつくないから、公務員になったらよいと言います。でも私は、公務員に興味がないですし、公務員の仕事はつまらないと思います。今の行政長官のキャリー・ラムは公務員上がりです。前の行政長官もよくないと思っていましたが、上には上がいますよね。今回の社会運動において、彼女は解決するタイミングが何度もあったのに、無視して火に油を注いでしまった。彼女は公務員としてやって来たから、上に従う習慣がついているのかもしれません。

エミリーの両親は、エミリーとエミリーの妹に自分たちと同じように苦労をさせたくないのだろう。給料が高く、安定した職業に就いて欲しいというのは、親の切なる願いだと思う。だが、「雨傘世代」のエミリーは政治や社会問題に強い関心を持ち、将来を考えている。

E「逃亡犯条例の改正案を提案したのは、キャリー・ラム自身だという噂があります。中国政府からの圧力もあるでしょうが、彼女自身の意志が働いている可能性があるということです。もしそうであるなら、公務員的なやり方という説明だけでは不十分で、彼女の姿勢はもともと強硬なのでしょう。

E「2006年、クイーンズ埠頭などの保存運動が盛り上がった時*2、世論に押された政府は公共事業の関連部門を統括する発展局を設置し、キャリー・ラムが局長に就任しました。彼女は発展局長として反対派の人たちとも対話する姿勢を見せつつも、最終的には再開発事業を独断専行してしまったのです。女性用のトイレの面積や子ども関係の施設が若干増えたとか、彼女の成果に言及する人もいますが、彼女は公務員の組織をとてもよく把握していて、北京政府にとって使い勝手がよい人なんです。

クイーンズ埠頭とは、香港島と九龍半島を結ぶ連絡船「スターフェリー」乗り場に隣接していた中環(セントラル)の船着場で、イギリス統治時代、エリザベス女王やダイアナ妃、歴代の香港総督が上陸するのに必ず利用していた由緒ある埠頭だ。

付近一帯の再開発計画により、取り壊しと移転が決まると、2006~2007年にかけて反対運動が起こった。ちょうどその頃、香港で「集体記憶」(社会共通の記憶)となる自然や文化財を残そうという街並み保存運動が盛り上がりつつあった。ハンガーストライキで抗議する人たちもいたのに、役人たちは説得工作を早々と終わらせ、強制的に抗議者たちを排除し、バイパス道路と商業施設の工事を開始してしまった。

香港政府はイギリス統治時代から、造成・再開発した土地の使用権を業者に売ることで財政を潤してきた。しかし、市民たちは街並み保存運動を通して、土地を経済的な価値のみで測ることに異議を唱えたのだ。「金が儲かればよい」という価値観ではなく、香港独自の歴史や文化を重んじようという「香港人アイデンティティ」は、こうした運動を通しても醸成されていったと言える。


香港の社会運動は、経済との結びつきにおいても、興味深い動きを見せている。エミリーは次のように話した。

E「香港の社会運動は、民主主義より自由を求める側面が強い。逃亡犯条例の改正案への反対も、最初は選挙とか民主主義については言っていなかった。しかし、雨傘運動から5年経ったけれど、経済的な利益は自分たちには回ってこない。自分たちには富は分配されず、財布の中身は増えない。香港の経済がどんなによくなっても、構造的なものを変えていかなければ、香港の貧しい人たちは豊かになれないのです。

E「“黄色経済圏”をつくろう、という動きがあります。香港の民主化運動に協力的な店を“黄色”に、非協力的で政府寄りの店を“青色”に分類しており、グーグルなどで調べられるのです*3。成功しても失敗しても、社会運動は必ず終わる日が来る。運動が終わったら、そこで学んだことを日常生活の中でいかに実践していくか。経済活動で連携することはとても大切なのです。単にデモを行うだけでは、変えられることは少ない。黄色と青色をどう区別するか、黄色と青色の程度どう判断するのか、さまざまな議論が行われています。

E「ポスターを店内や外に貼ってくれるのか、どこに献金をしているのか。従業員は黄色だが、オーナーは青色だという場合もある。アプリを開発した人自身も悩んでいる。どこまで青くて、どこまで黄色いか。アプリで調べられるようになっても、経済圏をつくるところまではいかないという見方もある。興味深いのは、青色に分類されるのはマキシムグループなど、国際的な大きな企業の傘下にあるチェーン店が多く、黄色に分類されるのは、規模の小さなローカル店が多いということです。これまでグローバル市場経済が独占してきた構造を解体する動きにもつながるかもしれません。


「青色」に区分されている代表的な企業グループが美心(マキシム)だ。この会社の創業者の長女である伍淑清氏は2019年9月11日、香港の女性団体の代表として国連人権委員会に出席し、香港のデモを「少数の過激な抗議者が組織的、計画的に暴力行為に加担している」と批判した。この発言に怒ったデモ参加者たちは、美心が香港でフランチャイズ展開しているスターバックス、元気寿司、吉野家、東海堂(アロームベーカリー)なども「青色」に区分し、次々と攻撃の対象とした。店のガラスが割られたり、シャッターに落書きをされたりもしている。

こうした暴力行為は、当然、容認されるべきことではない。しかし「黄色経済圏」を重視する動きは、中小企業やローカルなビジネスに目を向けることにつながっているというエミリーの指摘は興味深い。「富の分配」の構造を変えるためには、政治を変える必要があるのだ。

ところで、エミリーとは1月に台湾で再会した。ちょうど行われていた総統と立法会の選挙活動を見に来ていたのだ。台湾については、後ほどまた取り上げる予定。

*1:香港の中等教育は前後期各3年で、中学4年は日本の高校1年にあたる。

*2:当時の反対運動については、埠頭解体から10年のHongkong Free PressのWEB記事参照。COMMUNITY & EDUCATION HKFP HISTORY HONG KONG POLITICS & PROTEST, In Pictures: 10 years since the Queen’s Pier was pulled down(6 August 2017)
https://www.hongkongfp.com/2017/08/06/pictures-demonstrations-demolition-10-years-since-queens-pier-pulled/

*3:グーグルマップ上の店舗を青や黄に色分けし、事業者の支持傾向が一目で分かるアプリ。多くのユーザーがダウンロードしている:「黃藍商戶地圖」。(色分けされた店舗が地図上に示される:
https://www.google.com/maps/d/u/0/viewer?mid=1y44FzG0yy2qK_IPOotMg06ckh_ypZoJW&ll=22.285931618407755%2C114.1654873326263&z=15 )

クイーンズ埠頭の写真:

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Queen%27s_Pier_in_1925.jpg
そのほかの写真は著者撮影(香港は2019年12月、台湾は2020年1月)

イラスト:森山朋香(香港で生まれ、香港のローカルスクールに通う高校生)

あこ ともこ 現代中国研究、社会学、比較教育学

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