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〈自由〉の〈門〉をめぐる話 阿古智子 その4

なぜ「平和」がタブー視されるのか

「平和」であるはずの日本で

中国本土への容疑者引き渡しを可能にする逃亡犯条例改正への反対、それをきっかけに始まった香港の大規模デモは、未だ収束する気配を見せていない。

8月12日には、混乱を理由に香港国際空港の発着便が全て欠航となった。香港と境界を接する広東省深圳市の競技場では、数千人規模とみられる人民武装警察部隊(武警)が集結。しかし、多くの人々は改正案完全撤回、警察の責任追及、普通選挙実施などを訴える抗議活動を続け、18日の日曜日に170万人もがビクトリアパークでデモに参加23日には、香港島・九龍地区・新界地区を通る地下鉄3路線沿線で参加者が手を繋ぎ「人間の鎖」を作った。

林鄭月娥・行政長官は、ついに9月4日にテレビ演説を通じて「逃亡犯条例」改正案の正式な撤回を表明した翌日の記者会見では「難しい状況を打開するための一歩にしたい」と語ったが、警察暴力についての独立調査委員会設置は拒否、デモ参加者の訴追も変更していない。

前回本連載でも紹介した、民主派団体「香港衆志」(デモシスト)の周庭は30日に同じく香港衆志の黄志鋒とともに逮捕され、即日保釈されたが、代表の林朗彦とともに、「違法な集会への参加を扇動した」疑いなどで起訴されている。

周庭はTwitter で、「条例の撤回は喜べません。遅すぎました。」と投稿、「この3ヶ月間、8人が自殺。3人が警察の暴力によって失明。2人がナイフを持つ親北京派に攻撃され、重傷。1000人以上逮捕。100人以上起訴。怪我した人は数えきれないです。私たちは、5つの要求を求めています。これからも戦い続けます。」と記している。


香港の情勢を心配する一方で、私は日本を、そして、旧中野刑務所正門のことを考えていた。日本は表面上、平和で自由に見えるが、実態はどうなのか。穏やかで、静かで、目立った衝突もなく、人々は概ね、幸せに生きていると言えるのだろうか。

「平和の門を考える会」のメンバーは通常、旧中野刑務所正門を「平和の門」と愛着を持って呼んでいるのだが、昨年、門の扱いをめぐってタウンミーティングが開かれた時に、メンバーが「平和の門…」と発言しかけた時に、門の保存と活用に反対している人から「“平和の門”じゃないだろ!」と大声で怒鳴られたことがあった。

私はその時より前に、その怒鳴った人に「なぜ門の保存に反対するのか」を尋ねたことがあった。その人は回答として、「小学校の敷地面積が狭くなる」といった物理的問題を挙げた後、「あんな“左がかった建物”なんて必要ない」と吐き捨てるように言った。

この時私は、開いた口が塞がらないほど驚いた。私は、あまりにもこの問題を単純に見すぎていたのだろうか。恥ずかしながらその時に初めて、「この門は思想信条の異なる人たちの間で対立を深める原因になるかもしれない…」と感じたのだった。

「平和」という呼称に、それほど過敏に反応する必要がなぜあるのだろうか。いわゆる保守派の人たちは、「平和憲法」へのアレルギーや、「平和」を標榜する歴史認識への違和感から、「平和」という言葉を使うことそのものを嫌っているのだろうか。

刑務所があったその場所には現在、「平和の森公園」があり、公園の南西の角には「平和の森小学校」がある。この辺りは「平和」の名がつく施設だらけだというのに!

1983年の中野刑務所閉鎖以降、どのような経緯で門が残されたのか調べようと古い新聞を検索したことがある。その過程で、1985年1月24日の『毎日新聞』(東京版18面)に「平和の森公園」の呼称が一般公募により決まったことが記されていた。

名付け人となった井出和夫さんは、「思想犯の人たちがいたということも知っていました。その人たちを含めて受刑者が悶々とした苦悩を忘れてはいけないということと、非核宣言した区として平和をメーンテーマにという意味です」と述べている。井出さんは、暗い過去から明るい未来を展望するというシンプルで素直な思いを込めて、「平和の森」と名付けたのではないだろうか。それなのに、今では「平和」が論争の火種になり、おちおちとは言えなくなっているなんて。

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