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〈自由〉の〈門〉をめぐる話 阿古智子 その1

壁が築かれるかもしれない

2018年2月1日、酒井直人中野区長は記者会見にて、「旧中野刑務所正門」のある旧法務省矯正管区敷地を平和の森小学校の移転用地として2019年度内に財務省より取得予定であること、「門」の保存方法については、教育委員会、保護者、議会での議論、文化財的観点、費用等を総合的に判断し、外部見学のみの「現地での保存」とすること、今後、中野区の文化財指定を経て、東京都の文化財指定を目指すことを説明した。 区の決定を受けて、「平和の門を考える会」のメンバーは、新しい小学校での正門の活用方法について活発に議論し、夢を膨らませていた。

同会メンバーでもある神奈川大学の内田青蔵教授によると、「平和の門」の建築はオランダのアムステルダム派に影響を受けているという。アムステルダム派は歪んだ曲線を用い、感情や個性など、人間の内面性を表出することに重きを置く手作り感のあるデザインを特徴とし、シャープな線を用いる幾何学的なモダニズムのデザインとは相反する。なるほど!

「平和の門」は、絵本に出てくる可愛らしいお家のような外観をしている。これを一見して、刑務所の門だと思う人はほとんどいないだろう。
日本では明治期に「囚人にも人道的な扱いを」と西洋式の監獄が参考にされ、そこに日本式のスタイルが加わっていった。なかでも有名なのが、千葉、長崎、金沢、鹿児島、奈良のいわゆる「明治の五大監獄」である。建築家の山下啓次郎はヨーロッパに視察に行き、これらの監獄のほとんどの設計に参加した。そのうち、奈良監獄は奈良少年刑務所として2017年まで使われていたが、国の重要文化財となり、今後、ホテルに改修される予定だ。(ちなみに、山下啓次郎はジャズピアニスト・山下洋輔の祖父である。山下洋輔は故郷や祖父の歴史を振り返り、『ドバラダ門』(1990年、新潮社)を書いている。)

中野刑務所を設計した後藤慶二は東大を出た後、司法省の営繕技師になる。奈良監獄などを設計した山下啓次郎の後を引き継いで優秀な人をということで、後藤が採用されたという。後藤は山下のデザインを引き継ぎながらも、鉄筋コンクリートを使った構造を採用するなど、新しい手法を取り入れ、中野刑務所については、設備、設計、構造計算など全ての工程を細かく確認するほどの入れ込みようだった。残念なことに、後藤は35歳という若さで亡くなった。これが「若き天才建築家」と言われる所以である。

「平和の門」は2023年に平和の森小学校の新校舎が完成した後、学校が休みの日などに公開することになっている。外部見学のみということになったが、門の周辺にオープンスペースを設けておけば活用の可能性が広がる。地元のアーティストが作った作品や特産品を販売するマルシェ(市場)、漫才や演劇などのステージ、中野の歴史と今を考える討論会など、門を背景にして、平和の森小学校らしさを存分に発揮したさまざまなイベントが企画できるだろう。夜間はライトアップでもすれば、美しい煉瓦のデザインが浮かび上がるはずだ。想像しただけでもうっとりしてしまう。海外でも、日本国内でも、煉瓦造の建物を活用したイベントは活発に行われている。地域に開かれた学校づくりを行うのであればなおさら、門を上手に活用できる設計にすべきだろう。

しかし、2019年1月31日と2月11日に行われた新校舎に関する基本構想の意見交換会の配布設計案によると、4階建ての校舎は門に背を向け、門全体を囲い込むような形で配置されている。意見交換会ではこの設計案に対する反対意見が多数出たが、区の担当者は、「基本構想の大枠は変えられない」といった答弁を繰り返し、「皆様からいただいたご意見はありがたくお受けし、検討をさらに行った上で、微調整してまいります」と会議を締めくくってしまった。

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