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〈自由〉の〈門〉をめぐる話 阿古智子 その1

壁が築かれるかもしれない

添付の図を見ればわかるように、正門の南側は校舎に接している。
「門の側に窓はつくのですか。校舎の窓から門は見えるのでしょうか」という質問に対し、区の担当者はこう発言した。

「窓は付ける予定でございますが、様々なご意見がございますので、磨りガラスにするなどの工夫をいたしまして、見えないようにすることを検討致します。」

文化財担当の他の職員が「門を見せないようにするのではなく、門と学校の共存を図ります」とフォローしたが、この窓に関する発言によって、子どもたちに見せないように——つまり門を隠すかのように、校舎を配置する意図が露わになった。

正門の北側は水道局の管理する通路に面しているのだが、この通路に向けて正門を開放することはできないという。また、区の担当者が「子どもたちのプライバシーに配慮するため」として、「通路側から学校が見えないようにすると発言し、それに対して「今の平和の森小学校は外から丸見えではないですか? 子どもたちが運動したり、遊んだりしている姿が見えますよ。どうして新しい学校は外から全く見えないようにしなければならないのですか。トランプ大統領のように高い壁を作らなければならないということですか」との質問に、会場のあちらこちらから苦笑する声が聞こえた。

日本の近代建築史においても高く評価される美しい建物を、残す決定をした——にも関わらず、校舎に隠れて見えなくなってしまうなら、何のために残したのかと問われることになるだろう。安全配慮のため、周辺に囲いを設置するというが、あまりに背の高い柵で囲んでしまえば、子どもたちに威圧感を与えるだろう。「愚かな建築事例」を後々まで伝える学校になるかもしれない。
意見交換会の参加者数は1月31日が保護者6名(平和の森小学校は生徒数が700名近くいるのに!)、2月11日が20名というお粗末な状態だった。そもそも、中野区内でどのぐらいの人が中野刑務所とその正門について知っているのだろうか。

門に関心を持つ人を増やす努力が必要だ。しかし、そこにはまだ、ほとんど手がつけられていない。中野といえば、陸軍中野学校などの戦争を想起する施設を思い浮かべる人もいるだろう。戦争の爪痕が今なお残っているというのに、中野の町並みからそれらは打ち消されたかのようになってしまっている。「平和の門を考える会」では、学校エリアと開放エリアをブリッジでつなぐ設計案や、運動場と中庭を行き来できるような設計案を提案している。

2月11日の意見交換会についてきた私の息子は、会場ではじっとしておられず、出たり入ったりしていた。行く前は「僕も意見を言おうか」なんて言っていたのに、結局は何の質問もしなかった。まだ小学2年生。門をめぐる歴史を詳しく学ぶには早すぎる年齢だ。 彼の中野刑務所の説明は「戦争に反対した人たちがぶち込まれたんだよね」というシンプルなものだ。私は毎回、「そう単純なことではないよ」と応じた後、その先はもう少ししてから学ばせたらよいと考え、言葉を繋がなかった。 しかし、意見交換会の次の日、息子が朝食の準備をしている私にふと、「どうして磨りガラスの窓にするの?」と尋ねたのに対して、「はて、子どもにどのように説明すればよいのか」と考え込んでしまった。だって、私にもわからない。どうして磨りガラスの窓にしなければならないのか。学校に刑務所の門が残っていることを、子どもたちに隠すことなどできない。区の担当者は、子どもの疑問に真摯に答える準備ができているのか。子どもには、煙に巻くような役人言葉など通じない。

そうなのだ。門をめぐる議論から、子どもたちは完全に排除されてしまっている。 「子どもを第一に考える学校建設を」と言いながらも、大人たちは、子どもの意見を全くと言っていいほど聞いていないのだ。

[画像出典]

  • 豊多摩監獄表門写真 『紀念寫眞帖』(1910 年の豊多摩監獄竣工時に作成された写真集)
  • 「平和の森小学校新校舎基本構想・基本計画(案)」についての意見交換会にて配布された資料(2019 年 1 月 31 日、平和の森小学校にて)

あこ ともこ 現代中国研究、社会学、比較教育学

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