「くるまとわたし」 運転できない女
しかし、姉は運転しなかった。私と同じくペーパードライバーで、事故歴もないほど運転して いない、したことがない。二人の娘を大切に育て、運転は必ず夫任せ、自分では絶対に運転し ない。姉の夫はお酒が好きなのに、姉は自分の実家に運転させて連れてきて、ごはんにつき合 わせ、酒を飲ませず、運転させて帰る。私もお酒が好きだったので、あんまりじゃないかと思 った、ちょっとくらい運転すれば、と、実は何度も思った、怖いから言わなかった。
40 歳を過ぎてやっと結婚し、なんとか子どもに恵まれて、はじめてわかった。私も運転した くない。人を傷つける恐ろしさ、ましてわが子を傷つける恐ろしさ。まさか、まさか、絶対に いやだ。どんなに気をつけても、車を運転していたら、事故にまきこまれる可能性はゼロでは ない。でも、運転さえしなければ、自分の運転で人を傷つける可能性はゼロだ。そのゼロは大 きい、私はそのゼロにこだわる。断固こだわりたい。
しかしまたしても、私に運転をすすめる人が出てきた。夫である。娘が病気がちで、たくさん 歩けなくなったことがきっかけである。娘を運べるように、気軽に遠出できるように、必要だ ろうと。しかも、夫の母と私の父が存命でともに大変な齢になりつつあり、車があれば便利だ ろう、親孝行もできるだろうと。しかし、しかしである。親孝行をしようと思ったばっかりに 殺してしまった、となる可能性は、車の運転さえしなければそれほどないのではないか。なぜ そんなに殺す殺すと思うのか、練習したらどうか。そう夫は言う。しかし、しかしである。肩 こりから腕のしびれが指先まで、だんだんひどくなっている今日この頃、これ以上運動神経が よくなることもないのに、若いころにうまくなる気がしなかった運転を、これからうまくなる なんて。いったいどうして望めましょうか。
それで、私は運転しない。断固しない。車で人を殺す可能性はゼロにしたいのだ。男女平等と か言いながら男に頼る、と言われるのが嫌なので、夫に運転してくれとも絶対に言わない。車 はいつでも手放していい、というスタンス。私はいつでも自分でタクシーをよびます。
でもねー、タクシーって急いでる時ほど、つかまらない。。それでまた、ペーパードライバー 教習のページを、夜中にパソコンでさがす。悩み続ける。それでも、私は運転したくない。