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どら猫マリーのDV回想録 その2

ただいま人生再生中

1年過ぎるのはあっという間である。家を出て3年。迷っていた扶養手当* の申請に踏み切った。「迷っていた」し今回は「踏み切った」のだった。

そう、どこかで期待していた、らしい。夫がマトモになって迎えに来てくれるなんてことを。私は家族という何かを手放したくなかった。市役所は無機質で親切だった。逆立っていた心はいつの間にか平静を取り戻し、私はこれまでの出来事を淡々と語る。「大変な思いをされましたね」と神妙な顔つきで頷かれるたび、「お前に何が分かる」という怒りのような、あきらめのような複雑な気持ちが横切る。わかってほしい。
でも分かってほしくない。わかるはずない。

軽い 「大変ですね」だなんて
軽い 「怖かったですね」だなんて

そうじゃない。そうじゃない。そうじゃない……心の叫びはクレッシェンド。
私だけが誰からも見えていないみたいな、透明人間になったような世界。
なんだか身に覚えがある。言いたいことや感じていることがスルーされているのに、むやみに代弁される……そうだ。初めて助けを求めたとき。そうじゃないのに……。伝わらないもどかしさ。

必要書類に記載をしていく。西暦を昭和や平成にするのってなかなか難しい。海外に年号はない。私たちが暮らしていたのは日本ではなかった。夫について記入する欄になる。ギャンブルの有無、有に〇。担当の人はため息をついた。夫の誕生日を記載するとき、「せっかくだから誕生日祝おうよ」と言っただけで逆上した夫を思い出した。彼も相当追い詰められていた。原因はわからないけれど。

「ご主人と連絡とり合うのって難しいですよね」
そうですね、居場所が確定してしまうと何かと危険で。
「じゃあ向こうからも連絡はないって感じですか」
そうですね、こちらからは伝えたいこともないので。
「そうですよねー。離婚は難しいのかな、ということは、こちらに〇ですね」
と指さされたのは、子どもたちの現状。父親からは……。

遺棄

その瞬間、段ボールに鎮座する二匹の子猫がチロっとこちらを見た。
ポーよ!エリーよ!おめでとう!これでお前たちも立派などら猫さ! つまりは世界の全てがお前たちのものってことだよ!といきがってみる。ロールプレイゲームは詳しくないが、あのレベルアップの音がなるのってこういうときなんじゃないかな。

手続きはつつがなく終了し、優しい人たちはカウンター越しに丁寧に私を見送った。

外は暑かった。髪の毛の分け目の通りに日焼けしそうだった。そういえば、「市役所の売店にみんなで作った陶芸作品があるので良かったら寄ってください」と知り合いに言われていたのだった。しばらく歩いたところで思い出して、引き換えそうにも遠いのであきらめた。つつがなく終了したわりに、出勤時間までは余裕がないことが判明する。私は遅刻する旨を上司に伝え、職場までは歩くことにした。頭の中がいっぱいだ。

いつもは、職場に通っている利用者とドライブで通るバス通り。やはり、車と徒歩では大違いである。いつもはあっという間に通り過ぎる一本道が、長い。職場はこの先の左に行き、大きな公園を突っ切る。私は職場である事業所のハイエースが通り過ぎはしないかと期待した。それは疲れたからではない。頭の中はいっぱいなのに、ひたすら人恋しかった。

暑さはまた別の記憶も引き起こす。家を出て保護されたのもまた夏だった。ひとまず実家に身を寄せたのだが、父や母は究極の子ども嫌いなのを私は知っていた。

***

「あなたたちが帰ってきたんじゃ、家も手狭になっていくのね。うちも断捨離しましょう」

そういって、母が真っ先にリストアップしたのは私の修士論文の資料の段ボールたちだった。飾らなくなってしばらくたつ5月人形や、意味なくでっかいフランス人形。昭和の遺産たちがほかにもいっぱいあるじゃないの。すがるように見つめる私に母は言った。

「もういいでしょう? 子どもを育てていくんだもの。あなたの人生はもうなくなったのよ」

私は図体ばかりがでかいその愛しい段ボールを、そっと――というわけにはいかなかった――裏の物置に運んだ。祖母と、母方の祖母と、母が「履こうにも膝が痛くてとりあえずとっておいてある」草履たちの間にその段ボールはある。

嗚呼、段ボール…

そんなわけで、実家に居場所はなかった。私たちは早いときでは朝6時から公園にいた。しかし、ここはかつて栄えた住宅街。朝6時は運動するお年寄りでいっぱいである。子どもたちが太極拳だのラジオ体操だのを真似してしまうので困った。

遊ぶものもみんな置いてきたため、砂場の道具はいつも忘れ物を「借りた」。暑くても現金がなかったから公園の水を飲んだ。時々、台所の菓子パンをくすねて持ち出してベンチで食べた。自由にしていいと言われてはいたけれど…卑屈な自分を卒業することができなかった。まっとうな人ではないから夫婦関係が破綻したのではないか。「暴力されるようなわたし」というアイデンティティが私を苦しめた。まだ日本語もよくわからない2人。お友達には時々「態度」で表した。特にポーが友達を突き飛ばしては謝る私。

10時くらいになると公園も居場所ではなくなった。何となく歩く。人が少ない公園に「引っ越し」じりじりと暑い。ベビーカーもなかったから寝てしまってだらんとたれたエリーを肩に背負うようにする。黙々と後ろをついてくるポー。片手には「借りた」シャベル。「持ってきちゃったの?」とまた戻る。じりじりじりじり…… 日焼け止めも、まだあの時は買ってなかった。

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