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どら猫マリーのDV回想録 その3

プレイバック・パンデミック・パニック

この「物語」を書くうえで、避けたいけれど避けられそうにない事柄がいくつかある。この疫病もその一つ。新型コロナをめぐる一連の動きは、私の過去を否応なく想起させる。でもこれを書いてしまったらその国が特定されてしまう。でも、書きたい。そんな迷いがありつつも書いてみる。

志村けんが死んじゃった。たいして好きでもなかったけど。でもなんか、日常の風景が一つなくなった感じがあって、私も少なからぬ影響を受けていたんだなと思う。教室や廊下で志村けんの真似をして、先生がそれを叱る。私の世代は、どっちかというと、とんねるずかな。おバカな男子たちと先生のイタチごっこ、関わりたくなかったな。志村けんってでもすごい。同じテンションで30年以上居続けるってけっこう大変だなって思い始めたのは20代後半くらい。馬鹿なことって、頭がよくないとできないんだなあってやっとわかった。

20代の後半といったら、大学院博士課程の受験、しかも1浪(留)しての受験に失敗して失意の底にいた。そんな私が産休で空きが出ただかなんだかで(もはや記憶も定かではないのだが)韓国のNPOで臨時事務職員を募集しているという連絡をキャッチできたのは、本当に幸いだった。スカイプをオンの状態にしておいて本当によかった。私にはもう韓国語しかないと思っていたし、研究科への面子もどうにか整うという不埒な理由でワーキングホリデービザを取得して旅立ったのだった。ワーホリも若者の特権というかなんというか。このビザを取得できる齢的な期限も迫っていた。

仕事は、雑多なことばかりだった。お嫁に行く前の腰掛的な、とでもいおうか。でも私はうれしくてたまらなかった。私、ガイコクゴで仕事やっちゃってるじゃん、という感じが、である。仲良しの子たちはみんな博士課程に進んで、官庁に入省して、大手広告代理店に就職して、という輩のなかで、有名国立大の大学院を出たのにこの仕事。異色だけど、でもいいよね?という卑屈な思いの裏返しでもあったわけだけれど。リーマンショックの痛みの真っ最中。2009年の6月のことだった。

とにかく忙しかった。気の強い栄養士に毎日のように怒鳴られていた。内線の通話音が割れて必要事項が聞き取れないくらいに。どうして栄養士かというと、仕事上、給食の発注も私の仕事だったからだ。そこは主に青少年を対象とした総合施設で、修学旅行や部活の合宿、企業の研修などを受け入れる事業所だった。宿泊も可能。というわけで食堂もあって、利用者の食事を賄う。場所を貸すだけでなく、プログラムも提供していて、いつでもどこかで軽やかな音楽が鳴っていた。「わたし、ダンスにしたの、あなたは?」「わたしは手話講座」と飲み物を片手に、親の監視もなくキャッキャとはしゃぐ学生たちを横目に、私は内線がなるたびにおびえた。

「ちょっと!! 午前の団体、お昼食べないって言ったじゃない! 60名ぶん足りなかったじゃないの!!!」
顧客との契約の最終チェック内容がこんな小娘に流れてくるはずもなく、上司に確認すると、
「えー? 俺、言わなかったっけ? 共有ファイル見てみてよ、エクセル直してあると思うけど?」と、はぐらかされて終わり。そのやり取りの最中にも、学生たちは転んでけが、先生は落とし物探し、校長先生は「胃薬はないか」と私に尋ねてくる。顧客の中には、韓国語がお上手なマリーさん、いつ寝てるんですか?と労わってくれる人もいた。

でも忙しいうちが華というもの。
いつから始まったのだか、新型鳥インフルエンザなるものが韓国中を巻き込んだ。

団体旅行は全てキャンセル。経営はひっ迫した。女傑とも言える栄養士がいた食堂は、最後はパーティーをして閉められた。そして、「ワーホリはそのうち就労ビザに書き換えてあげるから」という口約束はどこへやら――私の心はすでに疲弊していたから、続けるどころではなかったけれど――あえなく帰国することになった。疲弊の理由……クレイマー対応が、「うちの外国人職員が聞き間違えたのかもしれませんね」で済まされることが多々あったのだ。完璧主義の私はいつのまにか自分を追い詰めていた。

たぶん、「ダメな自分」でありたくなかったのだと思う。お前のせいじゃないよ、と励ましてくれていたのは当時の彼氏、元夫だった。2010年の中途半端な時期に一時帰国してからも、韓国語に執着して、手弁当でいろいろ働いた。「ありがとう!」というメールだけで済まされるラブレターの翻訳、とかね。けれど、もちろん?健気な努力は、どれもこれも実ることはなかった。

劣等感だけが雪だるま式に大きくなって、身体だけは韓国と日本を行ったり来たり。ある省庁の入省試験は立派に不合格をいただいてまた更なる失意が私を襲って、がむしゃらなのか空回りなのかという感じでたまたま韓国にとどまっていたとき、飛び込んできたニュースが3.11だった。元夫くんのもとに身を寄せて、その後騒がれる放射能の危機をも逃れたのだった。


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