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どら猫マリーのDV回想録 その3

プレイバック・パンデミック・パニック

自分の息子たちには同じ苦労はさせまいと姑は必死で働いた。家も建てた。アルバムを見ると、ド田舎でスポーツブランドに身を包んだ元夫がほほ笑んでいる。背景には牛舎。ページをめくればボーイスカウトの集合写真。不器用な元夫はカメラと別の方向を見ている。

自分の娯楽はテレビだけ、その一方で姑は社交的でやり手の人だから何かと華やかだし、バスツアーも夫婦連れだってよく行っていた。子どもが何よりも好きで、とにかく世話好きで、私も本当によくしてもらっていた。

この家族に出会うまで、私は家族の愛情表現というものが、よくわからなかった。公務員の父と専業主婦の母のもと、私は何不自由なく育ったけれど、思いっきり笑顔になれるような経験はあまりない。家には常に緊張感があったし、情よりもルール、躾の方が先にあったからだ。

学ぶ機会がない姑が唯一できたことは卵管手術。貧乏子だくさんはもうたくさん、というわけである。姑の稼いだお金はもちろん家族たちが使う。長女なのだから、と彼女も文句は言わない。言えばひとでなし扱いを受ける。それが儒教社会。夫は働かずに家で寝ていて、外でも中でも働いているのは、儒教社会=韓国の女なのです。

そんな姑がアルコールに狂っていく人生を選ばざるを得なかったことを、誰が責められるだろうか。

「さあ、お母さん探しに行こう」
酒を飲んで飛び出したまま帰ってこない妻を、舅はよく長男の手を引いて探し歩いた。
「すみません、うちのやつ来てます?」
父がそうやって母を探し歩くのが、彼は恥ずかしくてしょうがなかったという。
その話をしてくれたとき、元夫は
「(母は)かならずさ、弟は一緒に連れて行くんだよ」と付け加えた。吐き捨てるような言い方ってこういうのを言うんだろうな。

でも、わかる。儒教社会を内面化してしまった姑。その家の長男を連れだすわけにはいかなかったんじゃないかな。どんなにかわいくてもその家の跡取りを道連れにするわけには。だって、家を飛び出すってことは、そのまま死のうと思っていたということなんだもの。そしてどこかで倒れている妻を抱えて帰る父。子どもだった元夫は、今度はまだ何が何だかよくわかっていない2歳年下の――2歳の差は大きい――弟の手を握って帰る。それがこの家族4人の風景だったわけだ。

元夫の優しさ貯金は、たぶんもう残ってなかったんだと思う。
母親のほかに本当に守りたいものができたとき、天秤に掛けなくちゃならないときがある。全員を守るなんて、たぶん無理。元夫の心労が今ならわかる。

私は、私が守りたいものと元夫とを天秤にかけたとき――元夫を捨てるしかなかった。努力ややさしさではどうにもならないことがある。「うねり」みたいな、何だか人の力ではどうしようもないことって、ほんとうに、ある。


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