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どら猫マリーのDV回想録 その7

ニシキヘビ

ほったらかしだったポー。
それでもむちむちと成長し、いつでも私を大好きでいてくれたポー。
そんなポーが負担でならなかった私。

エリーはまだおなかの中だった? 産まれていた? 義家族のポーへの扱い。それが不服で少しでも私らしさを出せた子育ては、エリーからだった。でもエリーは、いつでも姑が連れて行ってしまった。

子どもがいるのにいつでも一人だった。映画を観たり、カフェで過ごしてみたり、自由を満喫できる日常。でっぷりと太っていたあの頃。

でも少しも幸せではなかった。
今思えば、子どもたちと私を引き離すのが目的だったのだろう。子どもたちを韓国に。子育ては姑が。私は日本で出稼ぎ。そんなプランが姑たちの間にあった。そうじゃなくてもいいのよ。日本からお金を送ってもらって。大切な孫が暮らしているのだもの。そんな見え透いた魂胆も感じた……。自分がバカに思えてくる。

そうすると、エリーやポーが不憫に思えてくる。ポーなんて、発達が少し遅れてしまっているから、なのに身体だけは大きいので――今や150㎝、61㎏、立派です――いじられたり、バカにされたりして生傷絶えない学校生活。

ふつふつふつふつ……
あああ!韓国なんて戻るんじゃなかった! 2人目なんて産むんじゃなかった!
あの日、あの時、あの場所で!

と、有名なシンガーソングライターがしゃくれたあごで歌っては消える。あれから30年! 男と女の世界はそれほど変化してはいない。結婚が安定などではないことが、そろそろ明るみになってはいるけれど。

思い出しては書く。そして消す。思い出してみる。嘆く。このループ。書いていて思うのだ。知らず、知らず私は「読み手」を意識する。理解を求める。労りではなくて。理解を。そうして、理解されるべき「事件」を探す。

でも、よく考えて…… 暴力は「事件」ではなかったでしょう?

 

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