どら猫マリーのDV回想録 その8
マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” 編
たぶん、私が謝ると思ったのだろう。
悩んだ末、子どもたちを連れてソウルに行ったあの日。家庭の問題を相談しに、在韓国日本人女性の集まりに顔を出したのだった。
日本の書籍販売を個人的に行う人がいて、その人から日本の研究書籍を注文したのが出会いだったと思う。ゼミの先輩の博士論文が、書籍となって刊行されていた。一般のネット販売よりはるかに安価だった。そんなビジネスを立ち上げたなんてすごい。
なんだかんだと話すうち、個人的なことも話すようになっていた。田舎じゃどうにもならないこともあるよね、気晴らしにおいで、と言ってくれたのだった。
月に1度、日本人だけで集まっている、韓国ではそれなりに有名なケーキをホールでいくつか買い、日本のお土産などを持ち寄って好きなだけ食べて話す、バイキングに行くこともあったり、月に1回程度行っている――のだそうだ。その日は5月生まれの人の誕生日会を兼ねてあつまるのだ、という。
その外出予定を、舅、姑に伝えたはずだったが連絡がうまくいかず、その時すでに被害妄想のような癖が見え隠れしていた夫が、鬼の形相で待っていたのだった。
私には覚悟ができていた。
外には自由な世界がある。ソウルで出会った女性たちはみなそれぞれ美しかった。
縁もゆかりもなかった人同士。異国の地で出会い、支え合って生きている。それなりに楽しみを見つけ、生きていた。中には日本語学校を経営しているような人までいた。保険の外交を行っている人は、韓国人顔負けの実績を持っていた。居場所を探し、見つけ、作り出している人たちがいた。
あの時のソウルもそれはそれは暑かった。
自宅マンションに着いたとき、どっと疲れが出た。ハンバーガーが食べたいというポーのためにロッテリアに入ったけれど、もう閉店と言われた。ということは午後9時を回っていたことになる。夫が激怒するのも無理はないと思う一方で、大の大人が9時までに帰らなければならない理由なんてない、とも思った。子どもたちには私という大人がついているのだし。それとも、夫の言う時間を門限のように守るのが妻なのか。帰りが遅い!それを理由にいつまでも怒りが収まらない夫。病的だった。
コンビニで買ったハンバーガーを温め、にっこりとほおばったところを見届け、私は家を出た。でも実は、外で、当時仲良くしてくれていた日本人の友達が待っていてくれたのだ。事情を知っていて、ベビーシッターとしてソウルまでついて来てくれたのだった。廊下側の窓に気配を感じてのぞくと、こっそり、彼女が待っていてくれた。
「出ておいでよ。怒鳴り声、聞こえたよ。うちにおいでよ。さすがに子どもに何かしないでしょ」
私はその晩、子どもたちを置いたまま、ひとりで家を出たのだった。
1週間、その女性の家にお世話になって、日本に帰国した。
父や母はあっけにとられていたような。もはや記憶にない。
そののち3週間ほどかけて子どもたちを取り戻す準備を行ったことは、すでに記述した*1。
*1 本連載 どら猫マリーのDV回想録 その1 ただいま人生再生中 参照
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