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どら猫マリーのDV回想録 その8

マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” 編

人権、は、理論上のことらしい。
シェルターの世話人の一人は、明らかに私たちを目下の者のように扱った、欠落したもののように。これもまた、ソウルのシェルターでは経験しなかったことだ。エリーは大声を出す癖があった。ポーはやや多動気味で、言葉が遅かった。「欠けた家族の子どもたちはしょうがない」といった態度がにじみ出ていた。
しかし、そんなことに目くじらを立てていてもしかたがない。
ここは低姿勢に徹し、脱出、出国の機会を待った。

牧師の面談で判断が下されるとかで、とにかく、現地の保育園の退園手続き等に時間を要した。というのも、保育園に支払われている育成手当のようなものが、今度はシェルターに適応させなければならないからだ。背に腹は変えられないわけで、出国の手続きよりもまずそういったことが行われた。

個人的な買い物はいさかいの元になるので禁止。気晴らしのおやつはなし。もちろん、冷蔵庫に食べ物はあるが、種類が限られていた――機嫌の悪い、子どもふたり。ふたりに性格的、発達的問題があったのではない。この不都合な、突如として変化した日常に、どうしようもない思いを抱えていたのだ。そもそも、あんたたち誰? まだおしゃべりのできないエリーが言う。彼女の最大の反抗だった。

芝生がきれいだった。でも遊具はなかった。持ってきたおもちゃは、トミカ数台とタブレット。日本の子ども番組を5時間ほど録画しておいたけれど、飽きてしまう。
Youtubeをすいすいと操作していたポー。触っても巻き戻らない録画に、涙を流した。
子どもが泣き声をあげるたび、私は何か、疑われるような視線を浴びた。
暑い。部屋に空調はなかった。ウォーターサーバーの冷たい水ばかりを飲む。
天井までの窓から梅雨の終わりを告げる日差しが照り付ける。
暑い。しかし、シャワーからお湯は出なかった。
「へーフィリピンみたい」
あの時の私も同じことを思っていたな。フィリピンのシャワーもお湯が出なかった。汗だくで浴びると天国。でも少しでも汗が引いてしまうと、修行のようなそんなバスタイム。

出産したばかりのベトナム人女性は、保険に入っていなかったにもかかわらず帝王切開での出産だったという。外科的処置の伴う出産を実費で賄い、その全額を施設が負担したそうだ。ボイラーを直すお金は、とりあえずそちらに流用された。
食事は皆で集まって作ったが、産後のベトナム人女性は部屋まで運んでほしいとい言っていた。それをほかの同郷の女性たちが代わる代わる世話をし、足りない語彙力を補いあって伝えた。

「まったく、何よ、病人!? 姫!?」(뭐야, 그 사람이 병든 사람도 아니고 산모가 무슨 마마님이냐 !?)吐き捨てるように世話人が言った。
病人は病人じゃないのか? 開腹手術は理由が何であれ、それなりの体力が消耗される。

世話人たちもいわゆる、教養がないタイプではなかった。
信仰が厚く、奉仕の精神にあふれた中年女性が2人と、若い女性の1人が中心だった。
しかし、何事もオーバーワークだったのだろう。
ボイラーは直さないといけない、エアコンも設置しなければならない、しかし寄付だけでは資金が回らない。女性は保護されてくる。新しい命は生まれ、育っていく。

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