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どら猫マリーのDV回想録 その8

マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” 編

牧師の面接というのが待たれた。しかししばらく時間がかかりそうだった。
不機嫌な子どもたち。見るとエリーの顔が真っ赤だ。どうやら昼寝中に、やぶ蚊たちがたっぷりとおなかを満たしたらしい。半分膨れたようになったエリーの顔をみてようやく、“新参者”に対する世話人たちの視線が変化した。「エリーちゃん! どうしちゃったの! ごめんねごめんね!」と抱きしめてほおずりした。

とりあえず、泡遊びでもしよう。お湯は出る。
たらいと水道しかついていないの方のボイラーは使用可能とのことで、シャワーはあきらめ、私たちは手桶で整容した。こっそりとシャンプーを大量に使い、泡で遊んだ。そのあとは素知らぬ顔。物資は不足していても、シャンプーだけはやけにたくさんあったのを思い出す。朝夕関係なく、泡で遊んだ。何かにつけ浴室にいた。私は軽く頭痛がしていた。たぶん、熱中症だったのだと思う。夜も蒸して寝られなかった。

保育園の退園は意外と時間がかかった。母親の事情で退園する旨を伝えると、いつもは味方してくれていた園長が意外にも反対したのだ――それは「親」の意向をうかがわないとダメではないか、と。はて、「親」とは……そうだ。園長の言う親、とは、韓国国籍を持つ夫のことを指していた。外国人の母親は親ではないのだ。確かに、夫婦の合意の下で退園手続きができたらよかっただろう。でも今は、というか、私たちは事情が異なった。

異論を唱えてくれたのは、これまた意外にも現場の保育士たちだった。
外国人でも母親は母親だ。園長はおかしい。この保育士たちは、私が子どもたちを置いて日本に帰国していた際、SNSを通じて写真を送り、足りないものをメッセージしてくれた。そのおかげで少なくとも8:30から16:00の平日の様子を、私は日本で確認することができていた。月曜日には、週末はどこで過ごしていたのか夫や祖父母に確認してくれ、その情報をまたSNSで送ってくれた。日用品が足りない際は、かくまってくれた日本人女性にネット上で購入したものを届けてもらったり、おむつ類は保育園全体で使用できる量を送ったりした。購入は通販サイト。支払いはネットバンキング。へそくりとインターネットと人々の優しさで、私はどうにか遠隔育児を行っていたのだ。

それにしても面白い。同じ韓国人なのに、一方は夫側を、他方は外国人である母親側の味方についていている。世代の差なのか、それとも個人の考えなのか……。はたまた、「女性」という共通の生きにくさを抱えた連帯意識だったのか、それは分からない。

さて、くだんの教会シェルター。私たちにあてがわれた部屋の扉がノックされた。カンボジア人女性がそこに立っていた。見ると、駄菓子を持っている。たどたどしい、いや、そうでもない韓国語で話す。

「これ、グミとか。好きかな。お菓子ないなんて大変すぎるよね。私たちも最初、大変だったよ。良かったら、食べてね」

シェルターに来るにあたって彼女が準備してきたものを、私たちに分けてくれた。
私よりひと月ほど前にやってきたらしい彼女。仲介業者を介して結婚したが、夫婦は本当に仲睦まじく、当時5歳になる女の子がいた。しかし、ある日、夫が交通事故で帰らぬ人となった。やがて姑と舅がこっそり孫だけ引き取り、母である彼女の帰国手続を進めていること知った彼女は、子を連れてシェルターへと逃げてきたという。

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