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どら猫マリーのDV回想録 その8

マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” 編

「子どものことはもちろんかわいいよ。でも、幼稚園いってくれるとほっとする。」といたずらっぽく笑った。

朝はばたつく。どんなに早く起きても。優しく「行ってらっしゃい、気を付けてね」なんて、見送ってみたい。私の描くお母さん像。部屋はいつも片付いていて、子どもの帰りを待ちながらおやつを作る……そんな感じ?

女ってさー、なれないものが多いよね。まず、産まれてすぐに出会うのはプリンセスの童話。求められるのは、優しいお母さんでしょ、気配りの効く嫁でしょ、かわいい妻でしょ、聞き分けの良い娘でしょ、それに、嫌われないお姑さん…どれもこれもなれないものばーっかり。誰に言われたわけでもないのに、ある日ふと心に描かれる理想像。理想が高ければ高いほど自分は苦しめられる。

韓国料理を一緒に作ったり、身の上話をしたり、温かな時間だった。本人の子どもが日中は席を外している分、私を手伝ってくれた。それは、双方仲たがいするベトナム人女性も同じだった。私を間に挟んで、皆が寄り添っていた。

もう一人のベトナム人女性に子どもはいなかった。韓国に嫁いだのに、夫がアメリカ移住を提案してきた。それを断ると居場所がなくなってしまったという。夫のことは愛している。でも、そういう生き方を私はできない。ベトナムには戻れない。
彼女は言った。「祈って。私、今、肉類を食べないで願をかけているの。きっと神様は導いてくれる」そいういって、キムチと白米だけを口いっぱいに入れると、通勤用のバスに乗っていった。朝シャンした髪はまだ濡れていて、せわしない日常が伺われた。

そうか、ベトナム人女性たちが持っている小さなラジオのようなものは、要は、お祈り専用のもので、〇〇の祈り、△△の祈りといったものがベトナム語で録音されている専用の機械なのだ。彼女たちのよすがとなるべきものは祈りだった。キムチって、アミ入れて作るのにな……。その程度の肉類は、彼女たちの信じる神様が見逃してくれるといいなと思ったりした。

カンボジア人女性はそいうったグッズは持っていなかったが、それもまたベトナム人女性たちには気に食わないようだった。いかんせん、祈らないなんて「野蛮だ」というようなことをこそこそと話していた。

そうこうしていううちに出産直後のベトナム人女性が退所することになったらしく、気が付いたらいなかった。「赤ちゃんが小さすぎて、ここでは育てられないじゃない」と、世話人の一人がため息交じりにつぶやいた。確かに。産後の肥立ちを甘く見ると後に響く。適切な場所があるならそこに転所するのが良い。それがどこなのかは分からないけれど。

「ただいまー」と、もう一人の世話人が帰宅した。どこに買い物に行っていたのだろう。
入所して3日くらいしか経たないのに、どこかに出かけるという発想が、私からなくなりかけているのがおかしかった。壁掛けタイプの扇風機を抱えて、世話人は忙し気に動いていた。「暑いでしょ。各部屋にエアコンを取り付けるわけにはいかないけど、せめてこれだけでもね。」と、ある日、扇風機が登場した。首を振ってよく動く。風が起こるだけで、快適さは倍増した。

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