どら猫マリーのDV回想録 その9
マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” PARTⅡ
彼女は、びっくりするほど田舎に住んでいる。
ご主人も、「農家の人」と世間が侮蔑的に(・・・・)表現する、まさにそのまーんまの方。だけど二人は本当に仲が良かった。しかもお姑さんも同居。でもそんなにぶつかることもない。彼女の人徳なのだろう。
だけど、こういった何か特別な、友人の子守りだの、差し迫った事情の友人を助けるだの、といった理由がなければ、やはり自由な時間を過ごすことは難しいのだろうことが、言葉の端々からうかがえた。どこに住んでいても生活はある。寝起きし、一日の日課をこなし、生業を持ち、役割がある。それらがそれぞれのバランスを微妙に保つことで、家族が成り立っている。
彼女の家にお世話になっていたときのこと、お夕飯の準備を手伝っていると彼女が作り出したのは、生姜焼きに肉じゃが。韓国人家族の口に合うものではなかった。
「私がいるからって申し訳ないよ。お母さーん、辛くないのに、いいんですか??」
なんて、私が間を取り持ってみたりして。
でも、韓国の家庭の多くは、お客さんを迎え入れる習慣がある。
「キムチがあればどうにでもなる。嫌いじゃないよ。日本の食事は胃に優しいからね」
そのお姑さんもほがらかで、そう言った。
そういうものか、と、見ていると、もうすぐ日が暮れるというのに、畑に行くという。
数十秒後には、なんやかやと声が聞こえてくる。
「だから、危ないって!何度言ったら分かるんだよ!」
「すぐそこの畑さ!」
畑に向かう母親を見つけた彼女の夫が、無理やり自転車の後ろに乗せて帰宅した。
暗くなったらどうするんだ、言いながら。
確かに、舗装していない道路をトラックが無遠慮に通り過ぎる道。近所でも心配は心配だ。あのカンボジア女性の夫の突然の死も、こういう日常の状況での事故だったのかもしれないと今になって思う。当たり前のように明日を迎えらえる保障なんて、実はどこにもない。
「まーったく、年寄り扱いして。マリーさんとやら、豆ごはんは好きかい?」
あの数十秒でもやることはやってきたらしいお姑さん。手には大量のサンチュが抱えられている。末娘と私が同い年とかなんとか。畑に出かけたのはたぶん、私のため。夕飯に、自慢の畑の新鮮な作物を添えたかったのだ。
ほんわかとした時間だった。
日本風の生姜焼きにキムチをのせて、サンチュに巻いて食べた。おいしかった。
彼女の家族もそれに文句を言わない。婚家に日本の食文化を持ちこんだ彼女の、その家族だけの文化が出来上がっていた。ありがとうでは表現しきれないと思った。
彼女の家にいながら、自律神経が整っていくのを感じた。
全巻揃ったマンガ、有名業務スーパーの巨大ラップ、海苔せんべいに、日本製の化粧水、ぬいぐるみにキャラクター商品……部屋の中は、所狭しと彼女の好きなもので囲まれていた。ときには、「ねーねー。マリーちゃん、これどう思う?」と数々の“開かずの間”を見せてくれた。いつ買ったか分からない乾物の山、山、山!プラス、それを糧に一つの国を作り上げた虫たち御一行様。お姑さんがしまい込んでいたらしい。それらの断捨離も一緒にした――お姑さんが悲しがるので、後日、新しいものを市場で買いそろえ、私からプレゼントした。ほんの少し、サムギョプサルも添えて。
食べたいものを自分で作り出し、韓国の食材を勇敢に試し、好きな味を見つけ加えていた。彼女の生き方を知って、私は救われたと言っていい。
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