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どら猫マリーのDV回想録 その9

マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” PARTⅡ

シェルターの世話人が気を遣って、待合室で少し話す時間をくれた。
落ち着いてからSNSで連絡を取り合ってもよいのだけど、今、話したかった。

「私さ、すきなんだよね。おじさんタイプ。」
と、彼女はぽそりとつぶやいていた。
「その田舎臭くてさ、デリカシーの欠片もなさそうなおっさんがさ、毎朝聞くんだよ。
マリーは? 子どもたちとはもう会えたのかなって。」
と彼女は笑った。
私が滞在していた間、ジーパンでごろごろしてくれていた彼女の夫を思いだす。
ご本人から私に直接事情を尋ねることは一切なかった。
「ゆっくりしてってくださいね」というようなことを一言いっただけだった。
「でもさ、一応を気を遣ってはいたんだね。
いつもはね、帰ってくるとパンツいっちょなんだよ。」
いいとこあるじゃん、といったように、また彼女は笑った。

話は尽きない。でも、私たちはここで別れなくてはならない。彼女の、異国の地でも自分を貫く、でもなく、押し殺すでもなく、よい塩梅で双方に距離を置く生き方。そういった在り方がどうして私には、私の家族には存在しなかったのだろう。

タクシーじゃなかったじゃん!と思い返して、色々なことまで思い出す。

でも、私、忘れていた。
もうすでに、あの日のことがあいまいになり始めている。
忘れたくはない。いつか、あの女性たちのことを誰かに話したい。
でも、信じてくれる人はいるのだろうか。当事者の記憶でさえも混濁しているというのに。

確かに存在していた、どこにあったのかも分からない、片田舎の道路沿いの、不自然に大きな教会に、ソウルの片隅のマンションンの一室に、一つ屋根の下、寝食を共にした異国の女たち。確かに生きていた。寝食を共にし、語り合い、分かち合った、不思議な数日。

窓を開ければ、“普通”がそこにあって、窓の内側にはまるで存在しないかのような私たち。
それはそうだ。身を隠していたのだもの。

私たちはかくまわれていたのだ。存在していないのだ。
けれど存在していた。ネパール、ベトナム、カンボジア、中国、ウズベキスタン。
韓国人男性と結婚し、破綻したという共通点一つ。
思い描いた人生とおよそかけ離れた道に迷い、立ち止まり、出会った。けれど、誰も、たぶん、知らない。そんな場所、そこで彼女たちのすごす時間を。

シェルターは、外部者を侵入させることは禁止。
どんなに親しくて信頼を置いた間柄でも禁止されていた。が、田舎のシェルターでは、週に1回程度で韓国語教室が開かれ、“意識の高そうな”女性がやってきて、講義していた。

韓国語能力が高かった私はもっぱら、勉強中の母親たちの代わりの子守役。
といっても、子どもはみんな母親が好きだ。いつの間にか、母たちが勉強する部屋へ行ってしまう。アニメを流した画面だけは大きいテレビの部屋に散乱したおもちゃ。エリーとポーは日中の暑さのせいでとっくに眠っていて、広い多目的室に私だけが残された。
ウッドデッキの犬も寝息を立てている。と、そこに若い女性がいた。

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