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どら猫マリーのDV回想録 その9

マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” PARTⅡ

外部者禁止のはずなのに、やはりゆるいのは韓国ならではなのだろう。そういえば、さきほどの食事の席にも講師は参加し、その隣でひっそりと座っていたのが彼女だ。

急に静かになった部屋で私たちは会釈する。20歳半ばといったところだろうか。
食事の席で、講師が豪快にご飯をほおばりながら言っていた。
「こっち、私の娘。大丈夫でしょ?うちの子なんだから。」
彼女としては、母親の態度が少し無遠慮に見えたのだろう。「事情のある女性たち」を目の前に静かに、申し訳なさそうに座っていた。

「帰省、されてるんでしたっけ」
彼女は驚いたように見た。
たぶん、私が韓国語を“きちんと”話すと思っていなかったのだろう。
「ええ。昨日から。ついておいでよって母に言われたもので来たのですが……
よかったのかな。」
彼女の顔に戸惑いが見え隠れしていた。
ゆっくりしていってくださいというような、そんな社交辞令を言った気がする。
私の家ではないのだけれど。

「日本の方、ですよね」
というところから、話が弾んだ。聞けば、彼女は日本文学専攻で、大学院で日本に留学することを考えているという。ソウルの女子大の4年生らしい。途中、休学したりして年齢は少し上なんですけど、とのこと。どうりで落ち着いている。

いわゆる、ハルキストかと思いきや、彼女の関心は日本の近代文学。夏目漱石を専攻しようとしているらしい。

私も元は、日本文学を専攻しようとしていた。ひょんなことから日本語教育の道に行くことになったけれど。夏目漱石は、高校時代に浴びるほど読んだ作家だ。人生の師と言ってもよい。世間が小室ファミリーに感化され、ルーズソックスで街中を闊歩する中、私は漱石を先生と呼び、慕っていた。話が弾んだ。

日本に留学したから、高学歴を身に着けたから何か箔がつくわけでもないご時世。
彼女は迷っていた。と、そんなときに、こんな運命を背負わされた女性たちに出会い、明らかに動揺していた。こういう人生もあるのか、と。私はこれでよいのか、と。

しっかりものの彼女の母親は、そういう彼女を見つめ、あえて連れてきたのだろうことが分かった。私たちの人生を反面教師にしたわけではなさそうだった。もっと深い何かを伝えたかったのだろう。

比較的、学ぶ機会を多く得られている貴女。次世代を担う貴女。やるべきことは多いよ、という無言のメッセージを、彼女の感受性はしっかりと捉えていた。これから韓国への移民はますます多くなる。韓国とそれ以外のルーツを複数持つ子どもは、ますます多くなる。そのひずみの中に生きる子どもたち、女たち。

「ここにきて良かった。マリーさん、でしたっけ。好きな作家の話もできたし。こういう事情でなければ、日本に行ったとき連絡を取り合ったり、頼りにできたのにな」
そういってほほ笑んだ。

私も、何かと世話をしてあげたくなった。母校の図書館でも案内してあげられたかもしれない。事情が異なっていれば。そういう機会があるとしてももう少し先になるだろう。

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