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どら猫マリーのDV回想録 その10

マリーの逃亡劇 “アジア女性の連帯” PARTⅢ

謎に満ちているといえば、もう一人の来歴も相当、変わったものだった。
20歳前後の若いネパール人女性。彼女の赤ちゃんは無国籍だった。

高校時代の彼氏と別れ、失意の中、韓国人との国際結婚の募集の記事を観て来韓し、晴れて結婚。順風満帆な再出発を切ったはずだった。が、まもなく妊娠が発覚。
しかし、“計算”が合わなかった。そう、彼女は自分でも妊娠に気が付かないまま来韓し、出産。周囲は度肝を抜かれたわけである。夫の韓国人男性とその家族は激怒。

産まれてきた子どもの顔から、どうやら父親は元カレのようだけれど、ネパールに住む元カレさんはそれを認めようとはしない。出生届を出そうにも、韓国側もネパール側も、拒否。混乱する夫は出ていけ、というし、出生届は出せないし、というわけである。
せめて、子どもの福祉を優先するために、韓国で生れた子どもたちが一律に受けられる児童手当の申請中だった。
「私、子どものために生きようと思うの。この子の幸せが私の幸せ」
といったようなことをよく話していた。

彼女は韓国語ができず、もっぱら英語を使用した。
世話人の一人は、韓国でも有数の外語大出身。英語には自信があった。
私も多少、英語ができる。話すときはいつも、その世話人と私と3人。ほかの誰かが加わるときは英語と韓国語を通訳した。自分で言うのもおかしいが、私の韓国語はかなりレベルが高いようで、世話人も準スタッフのように扱うようになり、それぞれの事情を私に話すことがあった。私に話すことでストレス発散しているようにも見えた。
もちろん、私は口外することもなかった。できる相手もいなかった。

「子どもの幸せね…」
ネパール人女性が子どもを置いてふらりと出かけると、世話人はつぶやいた。
「それを言うならさ、喫煙からやめないとって思わない? たばこを買うお金はあるのよ。なぜか、ね。」

彼女は、授乳真っ盛りだった。それを聞いて外を見ると、窓の外、遠くを煙草を吸いながらゆったりと歩く彼女の姿が見えた。通りすがりの人が振り返ることもない。アジア系の風貌の彼女はすっかりソウルの街並みに溶け込んでいた。
部屋からは首の座らない子どもの泣く声が聞こえ、私たちが世話をした。そういう月齢だから、ということもあるが、彼女の子どもはよく泣いていた。それは母親がそばにいても同じだった。彼女はあまり子育てにマメなタイプではなかった。

「申請通らないのかな」
それぞれの日課が終わってリビングで過ごしていると、中国人女性がつぶやいた。
申請とは、件のネパール人女性の児童手当のことだろう。少しでも現金収入があるのは心強いだろうが、昼間の件を思い出して、彼女が「適切な」使い方をするとは、正直、思えなかった。
「写真撮らないと。子どものさ。」
中国人女性は、いつになくしんみりしていた。
おそらく、置いてきた子どもの様子を見に行ってきたのだろう。学校に直接行けば、夫にばれずに子供に会えると言っていたっけ。

彼女の人生、サバイバルである。にら玉、鶏肉と春雨の炒め物。朝ごはんの残りをレンチンして食べている。あまり辛くなく、油でふわふわの総菜をよく作っていた。子どもたちの好物なのだと言っていた。
「あんた、これ好きじゃない? よく食べてくれるよね」
そういって笑った。中国でも、韓国でもない食べ物だった。
彼女の家庭の味がした。

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