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どら猫マリーのDV回想録 その11

ポーとエリー と アッパ 

「はるもに へんでしたね やっつけます」
ポーがごろんと寝転がりながら言う。「退治ね。」と付け加える。

彼もそうとう、祖母にはまいっていたようで、韓国語を最初に覚えたのは「シロ!(ヤダ)」だった。洗濯ばさみを持ち出して耳だの鼻だのをつまむ、というブラックな遊びをしてげらげらと笑っていたっけ。ハルモニひとり一つを責めてもしかたないのだけれど……。確かに、私たちの一家離散に最も強い影響を与えたのはアル中だった彼女。夫は彼女に人生そのものを奪われてしまったと言ってもよいだろう。そんな彼女の人生は時代に奪われていたけれど。

「アッパ ここに 入れましょう」
どうやら、アッパは日本に来てもいいんじゃない?という提案らしい。
「まあね……」と思う。
仲間意識だけで生きていけるのであれば私だってそうしただろう。
生きがいもなく、友達もなく、日本語というツールもない彼が日本での生活―就労を伴う―に、適応するとは思えなかった。下手したら、精神を病んでしまうだろう。

「日本 アッパ いいですね。
日本人。赤ちゃん、6人。ぽーくん、えりーちゃん、あとたくさん」
なんと、再婚し、子どもを産めと。頭数だけ揃えばよいらしい。
かわいそうな夫くん。もうないことにされている。
私は思いがけない提案に大笑いしてしまった。そうだね、そんな風に事が進めばよいね。

ポーとエリーと生まれたとき、同じ親からこんなにも異なる人格が誕生することが不思議でならなかった。2人とも、親ばかだが、かわいい。ほかにもどんな子が生まれたのだろう。
部屋に無造作に置かれた写真は1歳、2歳、3歳と、まだ本当に小さかったポーとエリー。
このくらいの子がもう一人くらいいてもよかった。

……なあんて、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、当時のイライラした私を思い出す。3人いたら……きっと逃げられなかった。だっこは1人しかできなかったものね。
1人をだっこし、1人の手を引いて逃げた、マンションの無機質な廊下。
それは、エリーが初めて歩いた廊下。
あのとき、ポーは手を膝に置いて見守るようにしていたっけ。

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