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どら猫マリーのDV回想録 その12-1

ベビーシッターさんのこと Ⅰ

向かったのは市役所だった。
家を出るときは元気だった。バスに乗っても元気だった。
週末、子どもたちとアイスを食べた広場が見えたあたりからこみ上げるものがあった。

静かなロビーを通って、無機質で秩序だった空間が広がる。
子どもたちに見せてやりたい観劇のポスター、化石を見つける学習会の案内。思わず手に取る。来週はここに行ってみようか。

機能不全家族から脱出して、豊かな安全な生活をさせるのだ、と日本に帰国して6年目の春。私は就職できた。資格も取得した。週末は、子どもたちを連れて遊びにも行けた。習い事も、ちょこっと…… 確かに、そういった、安定していて安全な、元気で物心ともに協力的な祖父母ありきの暮らしが当たり前になっていた。

コロナ禍とはいえ、ずっとずっとましな暮らし、何不自由ない暮らしの中に私たちはいた。来週はここに行ってみようかとふと思った自分。その「来週」も同じ暮らしをするのだろうか。

何不自由なくて、父親が机の上を片付ける。何不自由なくて、父親が脱衣所に入ってくる、暮らし。庭付き一戸建ての暮らし。私だけが我慢すれば、何も起こらない。まるで、韓国での暮らしのように。いや、そうではない。「加害者」としての暮らしなのだ。父と母の「静かな老後の暮らし」を脅かした諸悪の根源である私なのだ。子どもたちに安全な暮らしを。どうか、させて、やってください。と、父と母に頭を下げるべき私。

「住民票ですか?」

優しい声がして、振り向いた。「整理番号、取りました?」
私はやっとの思いで、「こ、子育て支援。あ、やっぱり。あのう一人親で、それから……」
私はここに何をしに来たのだ。

支援してもらうべきところはもう十分支援してもらっていた。

子どもたちは順調に育って学校に行っていた。父も母も健康で私を手伝ってくれている。昨年の年収に見合った手当を、国から、都からもらっていた。給食費が実費となり、学童費も実費になった。給与の増額幅に比べ納めるべき支出は増えた。そんな名誉な私である。

「なので、あのう、だから……」
私がしどろもどろになったので、声をかけたその人は、私をそっとロビーの端にさそった。

「何か、私がお話を聞いて分かることかしら。分からなくても、聞いた方が良さそうかな?」

とても幸せで何が不幸か分からないことが不幸。少なくとも私はバカじゃない。

話は抽象的で、あっちゃこっちゃに飛び、途中、「へー、すごいじゃないの」とその人が言ったところを見ると、“ちゃんとしている”アピールも、私は欠かさず行っていたらしい。

そんな私は泣いていて、渡してもらったポケットティッシュはすっかり使い切った。

私のニーズは、とどのつまりは、「住む家、ください」ということらしい。が、色々心配でままならない。どこからが不安で、どこからがニーズなのか。もう自分のニーズも分からない。

「お名前知らないけど、あなた、貴女はバカなんかじゃないよ。そういう違和感を覚えて当然なんだ。頑張った。よく来た。とりあえず、ここまで来た。ちゃんと、SOS出せた。社会資源を探して、訪ねて来られた。貴女も社会福祉士ならわかるでしょう? すごいことでしょう?」

その人はそう言って私の肩をさすった。

 

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