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どら猫マリーのDV回想録 その12-1

ベビーシッターさんのこと Ⅰ

本当は、父親の息のかかる場所には行きたくなかった。
しかし、諸事情考えてみても、それがベスト、というか、自然だった。そのマンションは、私が生まれ育った場所だった。祖父母が両親に今の一戸建てを譲ってからは、晩年の祖父母が使用し、そのままになっていた。

韓国から日本へ。日本から韓国へ。
また、韓国から日本へ。
そして、別居へ。
猫は子どもを産んでから住処を3回変える、というけれど。
というわけで、住むための断捨離である。長い……。そこにたどり着くまでに。
しかし、ここから先はもっと長い。亡くなった祖母の着物だけで100着を優に越えるのだから。とはいえ、これといってやることがない、仕事人間だった父親の良い暇つぶしになった、はずである。

しばらくは、「本日は、この押し入れ」と朝、宣言し、「今日は40リットルのごみ袋が13個だった」と自慢げに答える父の報告会が続いた。疲れた父親は時折、「誰のためにやっているんだ!」と声を荒げることがあった。そうは言っても……そもそもそれらは、自身の亡き両親の遺品である。とにかく、マンションが手に入るまでと私は黙った。

そういうと、なんだか好条件のように聞こえるかもしれないが、リフォーム代も引っ越し代も父親への借金である。自分でローンを組むことを考えたが、父が利子の高さを耳にして激高、もったいない!となったのだ。ここは寛大な、と言っておこうか。そもそも無駄が大嫌いな父。そんな父親のおかげで利息を払わずに済んだマリーさん。

どこまでも、「ぜいたくな悩み」から抜け出せないマリーさんだ。なんだかんだ恵まれている。

ありがたくも悔しい――ひとり悔しがり、ひとり自分にダメ出しするマリーの脳裏には「爪の先に火を灯して」「健気」に暮らす、どこか模範的なシングルマザー像があるのだけれど。ダメな奴だと思われたくないプライド、もね。

……で、ない。

主に子育て関係の本が見当たらない。

ポーだけ連れて日本に戻っていたとき、気持ちを少しでも明るくしていたくて、少しでも良い母親になりたくて、物事をポジティブに捉えるようなエッセイや自己啓発書、男女のコミュニケーション術など、浴びるように読んだ。香山リカ、加藤諦三、講談社メチエのシリーズ、そうそう、経営者の成功哲学みたいなのも、あったっけ。図書館で借りたものが多く、ほとんどは手元には残っていない。

それでも、子育てのコミックエッセイなどは数冊あったはずなのだが、どこにもない。

私はまず、父親を疑いかけてハッとした。思い出した。ポーを連れて韓国に「帰った」とき、後から送ってもらったのだった。

佐々木正美先生の本や、心新たに、現地で大学院進学できたその日を夢見て購入し、でも読み切れなかった専門書の数々。それらが日本から届いて本棚に並べたとき、いつまでも眺めていたかった。その頃、私には日本語が必要だった。今まで読んだことがないような作家の作品を中古書店でまとめ買いしたものものあった。そして……あの逃亡劇なかで、置いて来ざるをえなかったのだ。勇気や元気をくれた数々の本。

その本棚付きのデスクは、日本から韓国に居を移した私のため、「いつか必ず大学院に進学するのだぞ」と、夫がわざわざ買って用意してくれたデスクだった。

 

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