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どら猫マリーのDV回想録 その12-1

ベビーシッターさんのこと Ⅰ

結婚や出産で自分が目指すことをあきらめてはいけない。才能があるのだからと、たびたび言ってくれていた。私がかじったのは社会学という分野だからすぐさまお金になるような内容ではない。もしかしたら、お金になるだろうと期待しての応援だったのかもしれないが、私にはありがたかった。

確か、アッシュブラウンと言われる色だったように思う。
その本棚に少しずつ本が増えていく予定だった。けれど、それにはあまりにも小さかった。子どもたちの本をしまう場所も必要だった――デスクの前で何となく本を手に取る私。その横で床に座ってページをめくるポー。そんな光景を思い描いていたの。

「韓国から日本に戻って、なんでまたわざわざ韓国に戻ったのですか?」

そんな質問をする人がいる。
子育てに必要な手も家も制度も、なにもかも揃っていた日本。ただでさえ大変な育児を慣れない海外でやろうとして、そして失敗して帰ってきた。しかも、もう一人産んで。

「ばかじゃないの?」とでも言いたげな問いである。それはまあ、物質的な豊かさよりも「父親」がいて、家族で寄り添った方が良いに決まっている、と私は思っていたから。おろかだったとしても。

というか、そういう、どこか評価するような質問をすること……、何て言おうか、「DV気質だって最初にわからなかったの?」とか、とか、とか、それ自体、当事者としてはナンセンスに思えてくる。「ばかじゃないの?」と思う人がいるとしても少し黙っていてほしい。

「ばかじゃないの?」
「うん、確かにね。でも、それがベストだったんだ。」
「ばかじゃないの?」
「うん、まあね。でも、それが精一杯だったんだ。」
「ばかじゃないの?」
「うん、まあね。でも、それ、あなた何も知らないで言ってるよね?」

でも実は、そう問いかける張本人は、あの日、あの時、あの場所で選択をし続けていた過去の私だったりもする。自問自答の毎日。

「独立したいなら、きれいに片づけてからにしろ」
が、断捨離開始からの父の口癖だった。倉庫や家のそこかしこに、私の荷物がある。

もう捨てても良いものからどうしても捨てられないものまで。自分が頑張ってきたことの証。他人にとってはゴミ。「これどうしようか」とついつい親に尋ねてしまう自分もいて、「いらないんじゃない?」と言われたら、やはりいちいちむっとする。

両親にとって目につくものは私の荷物らしいが、実は3分の1にも満たない。亡くなった祖父母の遺品を捨てられないのは父親の方だったし、天袋のお茶の道具は、免許皆伝したけれどなかなか披露することのない、母親のものだった。とはいえ、「部屋が片付かないのは誰のせい?」という終わらない犯人捜しのあげく、結局悪者は、「いきなり独立したいと切り出し、そのくせ、手伝わない娘」ということになっていた。

祖父母のものを捨てられない父。父もまた、何かの社会的役割に押しつぶされる犠牲者だとは思う。父は、この家にくぎ一本打つことを嫌う。この家は祖父母が建てたものだった。

 

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