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どら猫マリーのDV回想録 その12-2

ベビーシッターさんのこと Ⅱ

シッターサービスがあと3日ほど残ったころだっただろうか。最後の日には何かおいしいものでも一緒に食べよう、と思っていた。韓国料理、また、教えてくれないかな。何なら、個人的に会いに行ったりもしたかった。

が、しかし、彼女は突然、来なくなった。SNSにメッセージが入る。

「ごめんね。今ちょっと、携帯使えない。今日からしばらく行けません。
ごめんなさい。エリーちゃんとポーくんによろしく」

それから何週間か、数日だったかが経過して、彼女は突然、やってきた。
チャイムが鳴ったので扉を開くと、その人が立っていた。

「ごめんね。何かさ、夫が暴れちゃってさ」

……何のことだか、分からない私でいたかった。が、そうはいかなかった。大体のことが、想像がついた。酒癖が悪く、就労せず、妻や家族に当たり散らす夫。かつてソウルで垣間見た、「韓日家庭」のそれだったのだ。

「エリーちゃん、やっぱり大きくなったね」

エリーを抱き上げると大げさに抱きしめたり、揺らしてみたり。
再会してうれしいような、どうしていいか分からないような気持になった。

「エリーオンマがさ、本、貸してくれたじゃない? あ、ごめん、忘れて来ちゃった……っていうか、チベモッカ(家に行けない)なんだけど」
「気にしないでください。日本ならどこにでもあるやつなんで」

というか、今、それが本題なのだろうか。その人の家にいる子どもたちは、どうなっているのだろう。中学2年生にしろ、高校生にしろ、母親の内助が受験戦争に、さらにはその後の子の人生に、密接にかかわる国なのに。

「ごめんね…… そうそう、それでさ。なんか、犠牲とか奉仕とか、大切って言われてて。何か、夫がだめなひとっていうか、それも私のせいっていうか。
何か、支配したじゃん? 昔、日本がさ。だからと思って、よくしてあげたかったけど、なんか、本読んでたら、そうでもないんじゃないかって」

言いたいことは、何となくわかる気がした。
かつて韓国を支配した国の罪を償うのが日本の女性の使命なのだと教える、その集団に彼女は属していたのだった。

その教えにそって、自己犠牲を払って、この国の男性と結婚したのが彼女たちなのだ。そしてそれは、世界平和のため。夫の甲斐性がないのは妻が役割を果たしていないから、神への祈りが足りないからと教えられてきた、その人の人生の大半。
言葉も分からず、産まれてくる子どもたちを育てた。

彼女の作る韓国料理はおいしいと思った。当時まだマトモだった夫も、「おいしい」と言っていたくらいだ。見よう見まねで学びながら、自分の人生をあきらめずに生きて来たのだ。それが、他者の目から見たら、薄気味悪い、無意味なものなのだとしても。

 

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