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どら猫マリーのDV回想録 その12-2

ベビーシッターさんのこと Ⅱ

炊飯器からカチッという音が鳴り、保温していることを伝えていた。
温かいごはんと、温かい部屋に生まれたばかりの子どもといて、私は孤独だった。
2人をどうやって守っていったらいいのだろう。
私はその人を産んだその人の両親に思いをはせた。

最後の日。彼女はまた訪ねて来た。そして、役割をこなした。
紅茶はもう飲み切ってしまっていて、もてなすものがなかった。

「なんかさ、たぶん、離婚する。というか、別居?」
今後の進展について話をしてくれた。
お子さんたちはどうなったのだろう。聞きたいことは山ほどあった。
「ソルコジ(皿洗い)なんだけどさ、仕事も見つかったの。一日5万ウォンだったらさ、やっていけそうじゃない? 30日働いたらすごい金額」
その人がうれしそうだったので、私はなにも言わなかった。ケガは? 病気は? 毎日が元気なわけじゃないだろうに。食堂の皿洗いで、そのまま終身雇用というのは聞いたことがなかった。その人はまだ50代だった。

「あのう、お子さんは……」
「あ、そうそう。最初に出ていったときにさ、電話したの。あんた、帰ってきたら危ないよって、またアッパが、あんなんだよって」
どうやら、父親の暴力性は子どもたちもよく分かっていることらしかった。
「でもね、子どもたちはね。アッパがいいみたい。家に帰るって。一緒にいるって」

大好きなお父さん。でもそれは、その人が家族としてつないでいたからでもあるだろう。
その人は、子どもたちが男の子だから、父親の気持ちがよく分かるからだ、と解釈していた。その人だけ安全な場所に保護され、仕事もあるとなれば、時々、顔も見に行ける。
とりあえずは、一件落着なのだろうか。

最後、どうやって別れたか覚えていない。
SNSができるようになったら連絡するようなことを言っていた、ように、思う。
しばらくして、その人のSNSの写真が変わっていた。
それは以前、私に見せてくれた写真だった。韓国に渡った当時はこんなにきれいだったの、と。30代の彼女だった。そして、「ついてる!」の文字。

それは、私の本棚にあった、自己啓発系の本の題名にあったものだった。その人がやっと、自分の人生を歩み始めた証拠だった、と表現するのはあまりにも陳腐だろうか。

 

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