東アジアのクィア・アクティヴィズム 番外編
安全な空間と不適切な身体
-ピョン・ヒスさんを追悼して―
彼女の訃報
彼女の訃報に接したとき、私は自宅で論文を執筆していた。3月3日深夜のことである*1。タイピングに疲れた手を置いて、机のうえにあるiPhoneを取った。ふだん執筆に疲れたときにそうするようにツイッターを開いた。「みんなが生き延びられる社会になったらいいね」と、だれかが韓国語でつぶやいていた。気になって、タイムラインをさかのぼってみた。ピョン・ヒスさんが自死したことを知らせるニュースが目に入った。韓国の友人たちが、彼女の安らかな眠りに対する祈りとホットラインの案内をツイートしていた。
2020年1月22日、韓国陸軍がトランスジェンダー女性の下士官について除隊処分とする決定をくだした。これを報じたニュースはその日のうちに韓国国内だけでなく、日本語や中国語や英語圏のニュース・サイトでもとりあげられた。報道の多くは、トランスジェンダーの当事者として軍の除隊処分に対して異議を申し立てたピョン・ヒスさんの記者会見の様子を紹介するものだった。
軍隊内の人権問題を専門的に扱うNGO「軍人権センター」(ソウル市)の支援を受けて会見に臨んだピョンさんは、軍服と軍帽に身を包み、実名を明かし、顔を出した。そして国家に貢献する女性兵士として軍での服務継続を希望する旨をつよく訴えた。
ピョン・ヒスさんは幼いころから出生時に割りあてられた男性という性別に違和感を持ったが、それを抑えようと努め、サバイバルゲームなど「男らしい」趣味に没頭するうちに自他ともに認めるミリタリー・オタクになったという。おとなになったら軍人の道を歩んで国家に貢献したいという夢を抱くようになった。2017年3月、下士官学校を卒業したピョンさんは陸軍に入隊し、戦車操縦士として服務する生活をはじめた。
軍人としての職業生活は順調だったが、性自認に対する悩みを深めた。性的マイノリティの処遇に保守的なことで知られる韓国軍で「トランスジェンダーの軍人」という将来像を描くのは容易ではなかった。しかし、ピョンさんは「トランスジェンダーであること」と「軍人として生きること」の両方を実現させることを決意する。2019年6月、国軍首都病院で心理カウンセリングと性別移行(トランス)のためのホルモン治療を開始した。
翌月(2019年7月)、意を決して上官にカミングアウトをしたところ、好意的な反応が返ってきた。そこで性別適合手術を受ける旨を報告すると、8月には所属部隊の両性平等相談官が手術後の措置について、特に宿舎や女性休憩室の使用に便宜を図るべく動いてくれることを約束してくれた。