『ひらけ!モトム』によせて
上田さんの歴代介助者のトーク
その1決してひとりで生きてきたわけではなく
—なんだかすごく「いい家族」
お父さん: おー、おっきいな!
お母さん: 大きくなったねー!
上田さん: イエーイ
お父さん: あ(千種ちゃんの描いていた絵を手に取ってカメラに向ける)
介助者: はいチーズ。カシャ。はいもう一回。カシャ。
お母さん: ありがとうございまーす。
お父さん: ありがとうございまーす。すごいいいんじゃない、これは(笑)
お母さん: すごい「いい家族」。
撮影が終わるや否や、和空くんは「見せて見せて」というようにデジタルカメラの画面を覗き込んでいた。上田さんの膝の上に乗っていた千種ちゃんがお別れのときに上田さんにかけた言葉は「明日また会おうね」。
ビデオ、終了
動画「島田一家は僕の家族です♡」はこちらからご覧になれます。
—家族って何なのか。あれがすべて
岩下:
ありがとうございます。なんとなく、上田さんとの関係性を感じ取っていただけたかなと思うんですけど。上田さん、改めて見てみて、どうでしたか?
上田:
えー、あの、子どもたちの態度っていうかな、佇まいっていうか、すごくリラックスしてくれてて。
岩下:
なんか手前でカメラいじったり絵描いたりしてましたもんね(笑)
上田:
あれがすべてだろうと、思ってます。
岩下:
あれがすべて、ですか?
上田:
下の子の千種が、別れ際に――ほんとはあの2日後にはブラジルへ――、お母さんの仕事で家族であっちこっち、各国を巡ってるんですけど、このコロナ禍で帰ってきて、またラジルに戻ったわけなんですけど、その出発3日前に撮影に来てくれて。わかってるはずなのに、千種が「明日また会おうね」と言ってくれたのがすごく、ぼく自身感動して、あれがすべてだろうなと。
家族って何なのかって、いろいろ言えばきりがないですけど。血のつながった跡とりにという願いからぼくが生まれたわけですよ。それがまあ、結局できなかったっていう。その上で、ぼくなりの、やっぱり家族を作りたいという思いがどこかにあったのね。
で、たまたまこうやって出会えて。和空なんか、ほんと何回もぼくの膝の上抱かれて、あっちこっち動いたもんなあ、数えきれないくらい。
岩下:
慣れてそうでしたもんね。
上田:
千種ももう慣れてますけど、お互い信じ合える、って言ったら、言い方あれですけど、家族ができたかなと思いながら、ああやって千種が言ってくれたのが、もう、ぼくとしては本望かなと思ってます。
これからもたまに、ブラジルとこことでビデオチャットで会おうねと言ってくれてるし。彼らが成長した時に、本をどう読んでもらえるかなと、楽しみにしてます。
—え、孫!?
岩下:
ビデオをご覧になって何かありますか? 中村さん、及川さん。
及川:
そうですね、私、上田さんの孫には直接お会いしたことはないんですけども。あ、あったかな、ごめんなさい、会いましたね。羽根木公園で一度お会いしたのかな。
やっぱりそのときにも、え、孫!? ってのは驚いたのが思い出されますけども。
岩下:
やっぱり驚きました?(笑)
中村:
いやぼくも、大学出てからは、特にこの10年くらい大阪に移ってるってのもあって、上田さんとは、たまに何年かに一回、会うくらいだったんですけれども。
あるときから「孫が」みたいなことをフェイスブックに上田さんが書いてて、これどういうことなんだろう(笑)、っていうふうにずっと思っていたのが、岩下さんの本で、あ、こういうことだったんだと(笑)。なるほどっていう(笑)
岩下:
けっこう不思議がっている人が多いみたいですね(笑)
上田:
あの、余計な疑いを、変な誤解を生むことかもしれませんが(笑)
他にも「子ども」も何人かいるし、「息子」って言われてる人は、もう今年35歳の男性です。ほぼ毎月一回くらい遊びに来て、一緒にビデオ見るのが、もう定例になってて。彼もここに来て落ち着くんだろうなと。14歳のときから知り合って、一回は離れたんですけど、また一緒になんかいろいろやってたり、家で食事したりしてる関係ができて。まさに年齢的にも息子だし、本人もそう思ってると思います。はい。
岩下:
上田さんには家族がいっぱいいる、ということなんです。
第二部(その2)につづく
・上田さんの少年・青年時代の写真と「太陽の市場」の写真は『ひらけ!モトム』より転載。
・「太陽の市場」の記録冊子は、太陽の市場実行委員会編『太陽の市場 1981年5月22日~6月3日世田谷区羽根木公園』(身体障碍者団体定期刊行物協会)です。