『ひらけ!モトム』によせて
B&Bオンライン・トークのために その3
(その2からのつづき)
HANDS世田谷の鈴木範夫さんの話にもどろう。
障害者総合支援法になって、障害者が地域で暮らすためのサービスを利用するには、まず、どのくらいの支援を必要とするのかを6つの障害支援区分で認定してもらい、その区分に基づいて 自らやその周囲の人達で計画を作る「セルフプラン」や、民間の計画相談事業所で計画をつくってもらう。それに基づいて市区町村のサービス支給が決まる。
障害当事者が自分で計画をたてて、自分で「これくらい必要」と行政に言うことができるはずなのだけれども。そのセルフプランは、けっこうないがしろにされている。できれば民間の事業所で作ってほしいと、行政にいわれると鈴木さんは言う。こういった状況に対して、介助連は交渉する。交渉のあいては、世田谷区の障害福祉部の障害施策推進課、世田谷区保健福祉課。
社会福祉制度っていうのは国が保障するべきで、それを民間の福祉事業所の人たちにまかせて計画をつくられたら、ちょっと大変なことになる、それがいま一番の課題だと鈴木さんは言う。
鈴木さんが見せてくれた「世田谷区居宅介護等に係る障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律の支給決定に関する要綱」の別表1、には障害支援区分(どのくらい支援を必要とするかを 6 段階に区分)の支給最大時間が527時間となっている。月に 527 時間(1か月を 31 日として)、1 日 17 時間、と言う数字には、制度変更時前に障碍者自身が行政との交渉より積み上げてきた2種類の制度の時間数(当時約16時間)の横滑り以外の根拠がないのだという。
当事者団体のHANDS 世田谷が、ケアズ世田谷を別に立ち上げたのは。支援費制度を前提として地域で暮らす障害者に介助者をつなぐ事業が必須になったことと、その介助者に資格が必要になったことからだった。
制度が変わっていく過程で、鈴木さん、上田さんたちは、反対の意思表示を積極的にやってきたけれど、障害者運動の中でも意見はわかれたという。支援費になってよかった、それまでは措置制度だったから、対等に契約できる制度のほうがいいという人もいる。鈴木さんはそうは思わない、やっぱり行政の責任でおこなう、措置制度の方がよかった、という立場だ。行政の責任が重い方がよい、と。
鈴木さんが東京にでてきてからの30年のあいだで、どういうふうに変わったかを聞いてみた。
そうですね。介助が仕事化したかな。(時給が支払われるという?)それは制度的にはそうですけど、人の考え方とか、障害の考え方とか。私はちょっと古い人間の部類に入るんで(笑)、もうちょっとなんていうか、障害者の心のことを考えてもらいたいと思うことはありますね。明らかに、どこにでもあるアルバイトとは違うんです。障害者とかかわるってことは、やっぱり、差別されている人とかかわるわけだから。そういうところは抜かしてほしくない。
--介助者は自分が登録している制度の経緯については、知っていますか。
経緯は登録時の研修時に話すけど、詳細な制度内容は知らないと思う。複雑なんですよ。私もわからないこともありなりますからね。
--いまケアズの登録介助者はどのくらい?
個人介助者が30~40人、一般介助者が50~60人くらい。
--HANDS 世田谷の障害当事者は?
ここのスタッフっていうことなら、事務所に来ているのは5人。スタッフじゃなくてケアズの利用者は30人前後。
--24 時間介助を入れるには、ハードルは高い?
いまのところ、潜在的な必要性を考えると24 時間は少ないですね。でも世田谷区は比較的いいほうかもしれない。他の自治体では介助連みたいな活動は少ないと思うので。他の地域では個人として運動をして勝ち取っている人が多いけど、全体化されづらくあると聞いています。
--鈴木さんは 24 時間?
私は24 時間じゃないです。17 時間。それ以外は、緊急介護人制度や生活保護の他人介護料から出しています。今のところ は、自分で寝返りもできるし、小さいほうのトイレは一応できるし。
--まったく一人の時間に緊急事態があったらヘルプは出せる仕組みですか。
あきらめます(笑)、もう覚悟の上です(笑)。介助者がいるのは朝 8 時から夜の 11 時までです。週に 2 回は泊まりを入れられるんですけど。泊りがいない時は体調の変化とかの不安はいつもあります。たとえば大きいほうのトイレを意識して、事前に出しておこうとか、刺激物をあまりとらないようにしておこうとか気を付けているんですが、そういう緊張感から一時的ですが解放されるためです。明かに障害を持たない人と同じスタートラインに立つために必要性はあるのですが。このような理由では537時間以上の支給はなかなか難しい現状です。
--将来的に24時間介助にしないと大変だとしたら、どうやって実現していくんですか。
そうですね、常に現状をつたえて。あんまりこう、「盛って」話してもしかたないし(笑)。
--非定型[*3]というあり方についてはどう思いますか?
現状では527時間の「定型」の枠のみで、「非定型」での支給時間を決めるためには非定型審査会で承認されることがマストとなっています。でも、もともと制度上、非定型審査会は絶対必要なものではありません。また世田谷では基本的に非定型審査会は年2回しか開催されないことになっています。
さらには全く私たちの実態を知らない「専門家」といわれる人が審査するわけだから介助の必要性とかわからないと思うんですね。さらに支援区分の認定でも、障害者個人のプライバシーがかなりこまかく調べられるのですが、非定型審査会のために、そこまで必要なのかというくらいに個人情報が再度調べ上げられるんです。
介助連では役所内の会議で決められる527時間の定型枠について時間数をアップしろという交渉やっているんだけれど、なかなからちがあかない。交渉は続けているけれど。だから、じゃあ「非定型」でしょうがないと、妥協している訳なんですよ。
--非定型っていうのは基準の枠じゃおさまらない部分をなんとかするためのものですか。
そうです。世田谷は定型の時間数が多い方なんですけどね。たぶんこういう運動をしてきたからなんですけど。
--激しい運動で名高い「青い芝の会」ではやっていないんですか?
うーん、ちょっとわかりません。私はあんまりかかわってないので。あまり、運動が好きじゃないんです。めんどくさいっていう、はははは(笑)。
--ずっと怒っているのは大変だし?
そうですね。運動が生きがいみたいになっている人もいるけど、それは違うと思っていて。できれば、やらない(ですむ)ほうがいいんだから(笑)。そういう風に思うことが、逆に怒りのモチベーションになっている感じです。だから、ここ(HANDS世田谷)もなくなることがいいことでしょ。最終的には。そう思ってやっているし。まあ、ちょっと甘い考えかもしれないけど。
--それは仲間では共有できていることですか?
そうですね。ここがなくなることがいいことだ、という。
鈴木さんには、お話しをうかがったほか、あらためて手直しもいただきました。ありがとうございました。
*3「定型」「非定型」について、鈴木さんの補足:
「定型」「非定型」とされたのは、障害者自立支援法以降です。2003年に支援費制度になるまでは、世田谷区の「自立生活者」が使っていた主な制度は「全身性障害者介護人派遣事業」と、区の「自薦登録ヘルパー制度」で、両方を合わせて1日16時間までの利用でした。支援費制度の開始時に、この数字が横滑りして16時間が基準とされたのです。そして2006年の障害者自立支援法施行後の交渉で2008年に1日17時間にあげさせました。これが「定型」の1日17時間として、今に至っています。参考資料
*大学生介助者による上田要さんの生活史の聞き取りと考察
岩下紘己『ひらけ!モトム』出版舎ジグ、2020年
p109~114「世田谷ボランティア連絡協議会」、p130~134「エド・ロング、HANDS世田谷」、p137~144「母の転倒・父の死・自立生活」、P173 ~178「水俣演劇ワークショップ・重度訪問介護制度」など。*障害者の運動や制度、さまざまな証言や資料のアーカイブ
立岩真也「生を辿り途を探す 身体×社会アーカイブの構築」*世田谷区の障害者運動と地域づくり連携の経緯
丸岡稔典「世田谷における障害者運動の生成と展開―地域像の構想に焦点を当てて」『福祉社会学研究』13号、p106~131、2016年
「ひらけ!モトム」刊行記念 オンライン・トークイベント「つなげ!自立と介助と地域」2020年11月25日 本屋B&B(東京・下北沢)【終了しました】