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『ひらけ!モトム』によせて

岩下紘己

だから、ぼくは問い続けたいと思った

もうひとつ、ぼくを捉えて離さなかった強烈な記憶があった。

あれはぼくが大学四年生の夏休みだった。アラスカ州のとあるネイティヴ・アメリカンの村で二ヵ月間生活したのだった。

「自然との共生」の象徴として、しばしば称揚されるネイティヴ・アメリカンであるが、ぼくが出会ったのはそんな人たちではなかった。

言葉、文化、大地…、植民地化と激しい同化政策によってあらゆるものを奪われ、無数の深い傷を負いながら、他者と自己への暴力が次の世代へと連鎖し、アルコールや薬物への依存が当たり前と化した日常のなかで、それでも——いや、だからこそ彼らは、かけがえのない家族と友人と過ごすかけがえのない時間を大切に、笑いを絶やさず、ともに生き抜いていた。

「生きろ。哀しみのときは決して終わらない。それでも生きるんだ」
あるとき、こう言葉をかけられた。

寝て起きて、サケを獲り、ムースを狩り、薪を集め、火を焚き、家族や友人と集い、食事をして、野球をして、話して、笑った、彼らとの日々のなかで、ぼくはしきりに励まされていた。

そして、知った。
無から暴力は生まれない。暴力は、暴力を養いとする。それでも手を携えて、ともに暴力に抗うこともできる。

植松死刑囚も同じなのかもしれない、とぼくは思う。

他者の命を奪うという極限の暴力へと、彼を駆り立てたものは何だったのか。彼が受け継いでしまった暴力とは、何だったのだろうか。彼が語り得なかったものとは———私たちが聴こうとしなかったものとは、何だったのか。

その暴力の根が辿られることなく、声が聴かれることもないままに、植松死刑囚もまた、忘れ去られていく——私たちが忘れ去っていく。

「あまりにも悲しすぎる」と上田さんが書いたその言葉は、そんな私たちにも向けられているのではないか。聴き難い/聴きたくない声を抹殺することによって——これもまた、権力の行使によるひとつの暴力である——、無自覚な暴力から目を背け続ける私たち自身への言葉として。

上田さんにとって、津久井やまゆり園事件で消し去られた19人の障害者は、小林さんであり上田さん自身でもあるのではないか。植松死刑囚の刃は上田さん自身にも直接向けられているのではないか。

おそらく、ぼくが「健常者」という立ち位置から、この事件と植松死刑囚のことを考えるのとは全く訳が違う。その恐怖を、その理不尽さを、その怒りを、上田さんは感じ続けてきたのではないか。

それでも。
それでも、障害者を「いらない存在」として消し去った植松死刑囚が、死刑によって「いらない存在」として消し去られていくことを、「あまりにも悲しすぎる」と上田さんは言う。その上田さんの言葉は、安易な共感と理解を拒絶する。ぼくにできるのは、かろうじてその言葉の重みを推し量ろうと努めることだけである。

上田さんを理解する地点から、おそらくぼくは程遠い。むしろ重度身体障害者である上田さんという他者を通じて、ぼくは健常者という狭い牢獄に閉じ込められた自分自身を知っていった。

無自覚に他者に刃を向ける自分自身の健常者性と暴力性を問い続けること。
声を抹殺するのではなくともに発し、暴力の根を辿ること。

ぼくにできることは何だろうかと、考えて、思い至った。


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