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『ひらけ!モトム』によせて

2023年5月、広島~江田島 世田谷に暮らす団塊世代の重度身体障害者・上田さんの旅

その1

モトム、故郷に帰る

広島平和記念資料館 編

5月7日(日) 広島:雨のちやや強い雨

 

モトムさんは、菊次郎さんの写真には、そういうもの(怒りの表現)があったように思う、と言った。

展示室の中のたくさんの記録写真のうち、福島菊次郎さんの仕事もあった。被爆後の苦難の展示のなかの「N家の崩壊」*1のコーナー。

*1 資料館本館「被爆の実相」の展示は 前半が<8月6日のヒロシマ>後半が<被爆者>で構成されていて、福島菊次郎さんの写真は<被爆者>の「生きる」のコーナーにあり、被爆者・中村杉松さん一家を15年間撮り続けた作品(1961年刊『ピカドン ある原爆被災者の記録』収録)から選ばれている。資料館展示サイト参照

モトムさんは、菊次郎さんを描いたドキュメンタリー映画の上映会の企画に関わったことがある。モトムさんの介助者で、仲間だった林忍さん*2 の遺志をつぐ気持ちもあった。 林忍さんとモトムさんとは、チェルノブイリ原発事故後の社会をどう生きるかを考え、三里塚から有機野菜を仕入れ、八百屋・兼・弁当屋を営んでいた仲間だった。林さんは、1989年に33歳で亡くなった。

*2  林忍さんについては、『ひらけ!モトム』および、本サイトのこちらのトーク(「決してひとりで生きてきたわけではなく」『ひらけ!モトム』によせて:上田さんの歴代介助者のトークその2)を参照。

コーヒーと紅茶をすすって一息ついたあと、雨の中、雨合羽の3人は、原爆慰霊碑まであるき、すこしたたずむ。

振り返ると資料館まえに、あさひタクシーのワゴン車が、バックドアを開けた状態で資料館入口真正面に堂々と駐車し、赤いハザードランプを点滅させているのが見える。ああ、また怒られないかなあとやや焦って、資料館に戻る。

そこそこに強い雨脚、車中、モトムさんの話をスマホで検索してみる。
Twitter投稿や雑誌サイトのイベント告知ページに、記録が残っている。

2013年3月30日(土)、世田谷区烏山区民センター。『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』世田谷上映会実行委員会。上映後に菊次郎さんと監督の長谷川三郎さんのトークあり。参加された方でブログを書いている人もいて、菊次郎さんとツーショットに収まったりしている。とてもいいイベントだったみたい。菊次郎さんは2015年に94歳で亡くなっている。

以下はモトムさんの補足。

「菊次郎さんと僕の出会いは、映画「ニッポンの嘘」が出来上がり、上映会に足を運んで観た時に、林忍が世田谷区で写真展を企画したら、右翼が妨害して企画自体が中止に追い込まれたことがあった。」

「その10ヶ月後に彼が癌で亡くなったことを思い起こして、彼の弔い合戦としてこの映画の上映会をやろうと思い立った。」

「たまたま知り合いが福島さんの知り合いだったこともあり、山口県の柳井から世田谷に出てきていただいて、上映会と講演会を開かせていただきました。」

「映画の長谷川監督も参加していただいて、2回公演で250名の参加者を数えました。」

モトムさんと菊次郎さんのツーショットの写真もあるそうだ。

「菊次郎さんが亡くなった1年後に流れたニュース映像で、彼の部屋が映って、そこに僕と菊次郎さんの写真が飾ってあって、感無量でした。」

資料館からホテルにもどる福祉タクシーの車中、青い雨カッパにおおわれたままこの話をしながら、モトムさんは「光栄です・・・」と言った。

-モトム、故郷に帰る その2に つづく-

モトム=上田 要 うえだ もとむ 『ひらけ!モトム』の主人公、生活史の語り手。1948年広島県(現・江田島市)生まれ。78年より東京都世田谷区に暮らし、86年より24時間介助。自立生活実践中。

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