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『ひらけ!モトム』によせて

− 相模原施設殺傷事件の死刑判決とある障碍当事者の声 −

岩下紘己

さ よ な ら は 言 わ な い

……。私たちの呼吸音が、辛うじて沈黙を埋める。私は何か言葉を付け足すべく、足早に考えを巡らせる。が、間もなく、そんな私の無用な心配を他所に、上田さんは語り始めた。

この事件が起きた時、もちろん19人を殺して26人に傷を負わせたっていうところの、悲惨さというのはあまりにも雑な言い方なんだけど、みんなと同じようにショックを受けました。みんなおんなじような感覚だと思う。

と同時に、19人の家族たちが本人の名前を出そうとしなかったことに余計にショックを受けました。こんな事件起こしたらさ、(通常は)被害者の名前が当然出てくるじゃないですか。ところが顔も出さない。何なのこれって思って。

匿名か、実名か、被害者家族には葛藤があった。「甲E」とされた姉を亡くした弟は、匿名にすることで「自分は姉の人生を否定しているのだろうか」と悩み、「遺族もなくなった家族を差別しているのでは」という意見に傷ついたという。「甲A」とされた娘の母は、初公判を前に名前を「美帆」と明かした。「乙E」とされた息子の母親は家族陳述において「いつものように、じゅんと呼びます」と名を明かし、息子への想いを読み上げた。息子の尾野一矢さんが重傷を負った剛志(たかし)さんは事件当初から実名で取材に応じ、裁判では唯一実名を選んだ。

だから、被害者家族が被害者の名前を「出そうとしなかった」というのは正確ではないかもしれない。「出せなかった」のかもしれない。未だに多くの被害者が匿名のままである。

まさに、闇から闇に葬ってしまったわけですよ。だって、殺されたにも関わらず、存在しなかったことになるわけじゃないですか。それはあまりにも悲しすぎやしませんか。

殺され、闇に葬られる。そしてほとんどの被害者の顔も名前も公表されず、「存在しなかったこと」として抹消され、さらに闇に葬られる。闇から闇へ。
かけがえのない存在としての被害者への想いを呑み込んでしまうほどの、障碍者差別に対する恐れ。それほどの恐れを被害者家族に与える社会とは、一体何なのだろうか。

(40年以上前)僕が施設にいた時に、小林成壮という人と友達になったんだけど。その施設に入ってる間に、2回自殺しかけた。でも障害があったから。だから多分、彼(は)足で漕いで車椅子(を)動かしてた。施設が高台にあったから、近くに崖があるんだよね。そっから落ちようとしたんだと思う。でも自分の足じゃ(坂道を)登れなくて、自殺できなかった。

そういう気持ちとさ、さっきの、事件の背景にあるものって繋がると思うのね。

「事件の背景にあるもの」とはつまり、植松被告が45人を殺傷し、報道や裁判でその被害者が匿名にされ「存在しなかったこと」として「闇から闇に」葬られた、そして匿名にせざるを得ないほどの恐れを被害者家族に抱かせた背景にあるもの、である。

(自分も)施設に入って初めてさ、仲間に出会って、思いっきり社会で障碍者の置かれた立場、肌で染み込んだわけですよ。いわゆるいらない存在として、みんなが見てるっていうかさ。ここで死ぬかというそういう絶望感とかさ、あったりして。

背景にあるもの、それは障碍者を「いらない存在」とみなす「みんな=社会」。

障碍者を「いらない存在」とみなすことは、具体的な形として現れてくる。

植松被告は「障害者は不幸を生む」、「意思疎通ができない重度障害者は要らない」という動機から犯行に及んだ。

小林さんや、小林さんを産んだ母親は、父親から暴力を受けていた。また、上田さんと小林さんの入所していた施設では、時間や行動が厳しく管理され、外出や家族との面会がほとんどできないほど制限されていたという。恋愛などもっての外だった。

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