『ひらけ!モトム』によせて
− 相模原施設殺傷事件の死刑判決とある障碍当事者の声 −
さ よ な ら は 言 わ な い
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やっぱり彼も、小林も、自分はもうここ(施設)で人間的な生き方はできないと悟って。(一方では)もう一度家にも帰れない、帰ったら父親から暴力を受けたり。彼のお父さんがすごい暴力を振るう人で、お母さんも殴ってて、「こんな子産んだのお前が悪いんだ」っていう。そういう話とかもされてたってこともあって。それが嫌で(彼は)自分から施設に入ったわけだから。親はもう完全に、彼をいらない存在だと思ってたんだと思うのね。
小林さんは入所した施設で自殺を試みたが、自殺さえもできなかった。「いらない存在」とされ続けることによって、ついには、「いらない存在」として自らを消そうとした。
その、背景にある、障碍者はこの世に生まれちゃいけないっていうところの流れがずっと続いているわけですよ。50年経ってもまだ変わってなかったと。
上田さんが施設で小林さんと出会ったのは1970年代前半である。50年、いや、おそらくもっと以前から変わっていない。
植松被告は、津久井やまゆり園で働き始めた当初を「こんな世界があるのかと驚いた」と振り返る。その驚きというのは、「入浴のとき、大の大人が裸で走っていた。(職員の入所者への)口調は命令口調で、食事は流動食を流し込んでいた」というものである。
入所者への職員の暴力に関する噂を耳にした植松被告は、「はじめは『良くない』と思ったが、(職員に)『2、3年やればわかるよ』と言われた」という。植松被告自身も、食事を食べない入所者に対して「しつけと思い、鼻先を小突」くようになり、やがて「重度障害者はいらない」との考えに至ったという。津久井やまゆり園の入倉かおる園長は、取材でこれらの職員の言動を否定しているが、真偽の程は定かではない。
施設にはこのように、根本的に管理やアイデンティティの剥奪、閉鎖性という問題がつきまとう。1961年、もう半世紀以上も前に、すでにゴッフマンがその著作『アサイラム』において「全制的施設」という概念を用いて指摘したことである。
上田さんや上田さんの友人の小林さんのように「全制的施設」に入所した障害当事者にとって、それは自身を「いらない存在」とされることに等しく、まさにそのように経験されるのではないか。
そして障碍者を「いらない存在」とみなす具体的な形としての施設での経験を通じて、植松被告が「障碍者=いらない存在」という考えを内面化させていったという側面は否定できない。