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難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-

180度の視野を補うには
阿古智子

「人間の視野は一般的に180度しかないないので、視野の外の、残る180度の情報を得るには、他者の協力を必要とします」

Chingさんのこの言葉を読んで、私は香港大学の博士課程でエスノグラフィーの手法を学んでいた時、指導教官が似たことを言っていたことを思い出しました。

「人間の目は前にしかついていないから、後ろの風景は角度を変えてみるしかない。でも、角度を変えるとまた後ろは見えなくなる。同じ一つのリンゴでも、見る人によっては違って見えるんだよ」

エスノグラフィーは日本語では「民族誌」とも言います。主に参与観察を行う調査手法で、自らが研究対象とするコミュニティやグループに入り込み、内部者の役割を得て参加しながら、観察を行うのです。中に入り込みすぎると、内部者の視点ばかりに影響され、見えなくなるものもあるでしょう。だから、「参加」と「観察」のバランスを調整しながら、何を、どのように見れば、どんな世界が見えてくるのかを記録するのです。私はこの手法を学んだことで、研究者としてだけでなく、一人の生活者として、人生を豊かにする方法を見つけたと感じています。なぜなら、自分の視点に固執して見えなかったものが、他の人の立場に立とうとして、角度を少し変えるだけで見えるようになり、それによって、自分の中に新たな思考や感情が生じることに気づいたからです。

拙書『香港 あなたはどこへ向かうのか』(目次の後の書き出し部)でも紹介しましたが、周保松は『星の王子さまの気づき』(三和書籍、2021年)でこう述べています(拙書出版後に出た邦訳書の訳ではなく、ここでは拙書の妙訳を紹介します)。

「理解は重要だが、人間が共感に基づいて理解することは容易ではない。現代の都市生活において、多くの人が孤独に生きている。孤独の原因は、他者への理解と配慮の欠如だ。では、どうすれば効果的に理解できるのか。それを達成するのが難しいのはなぜか」

「私たちが一般的に考える共感とは、想像力によって達成される。他者に対するこの種の理解、つまり、想像による共感を機能させるには、前提条件がある。私たちが他者と同じように経験する必要があるのだ」

しかし、視力が正常な人は失明した人の人生を理解できないし、人は皆、いつかは死ぬけれど、死にゆく人々の苦しみを理解し、孤独と恐怖を共有することはできない。私に直接近づくという経験はほとんどできないから。ではどうすればよいのか。

周保松はこう答えます。

「他人の苦しみに直面して最も重要なのは、自分に理解を強要することではなく、自分が無力であると認めることだ。そして、家族や友人のそばに立ち、どんな状況でも共に歩もうと伝えるのだ」

「おそらくこれも一種の理解であろう」

周保松は香港中文大学で教壇に立つ傍ら、社会実践者としてデモにも参加し、学生や市民と対話してきました。雨傘運動の際には逮捕もされており、当時心身がボロボロになっていた時に、『星の王子さま』を読み直したといいます。

周保松に対しては、「知識人が理想主義を振りかざしている」と批判する声もあります。しかし、分断された社会で、立場の違う者同士の理解が難しいと分かった上で、自らの無力を受け入れ、他者に寄り添うことも一つの「理解」だという周保松の姿勢に、私はエールを送りたいと思いました。

サン=テクジュペリは、ナチスドイツの時代に『星の王子さま』を書きました。周保松は暴政に晒され、絶望的な情勢にある中で、「家」を守ろうと立ち上がった愚直で勇敢な香港人たちに、本書を捧げています。

Chingさんは人間の一般的な視野の外にある、残りの180度の情報を得るためには他者の協力が必要であるが、昨今の香港における自己検閲、記者への攻撃、民間企業への情報開示の厳しい制限などが、真実を隠蔽し、市民の知る権利を奪っていると指摘しています。このような社会状況では無力感と絶望感が増すばかりですが、重苦しい空気の中でも出口を見つけようと、闇の中でも光を見つけようとしている人がいる。

「息がある限り、すぐに落胆するべきではありません」

そうか。それが生きるっていうことなのか!私たちは息をしている。確実に生きているという証拠。当たり前のことですが、これこそ大切なことだと気づかされました。

でも、他者を理解しようと思って、視野を少し変えようと思っても、なかなかそれができない時もあるはず。傷ついて、心が痛くて、どうしようもない時もあるはず。そんな時は、同じ苦しみや痛みを抱えている人たちと、それを分かち合って、気持ちを整えればいいのですね。それから、また考えればいい。それも、Chingさんが教えてくれました。

■中文■  補足另外180度的視野(訳・Esther)

「人的視野普遍僅為180度,而另外的180度需要透過他人的協助以得到相關資訊。」

讀到Ching的這段文字,我想起了在香港大學的博士課程中,學習民族誌(Ethnography)的研究手法時,當時的指導老師也說過相似的話。

「人只能看到眼前,所以要看後面的風景就必須轉換角度。然而,轉換角度後又會變得看不到後面。即使是同一個蘋果,因應看的人不同,看到的蘋果也會不一樣。」

Ethnography日文也稱為「民族誌」,是一種以參與観察進行調査的手法,由研究者自己進入研究對象的社區及群組,取得內部人士的角色,參與並進行觀察。一旦過份投入,便會被內部人士的觀點所影響,從而有看不清的東西吧。所以,要在「参與」和「觀察」中取得平衡,把看見甚麼、如何看見、看見怎樣的世界記錄下來。透過學習了這種手法,不單是作為一個研究者,作為一個生活者,我也感覺找到了令人生更豐盛的方法。何出此言,是因為我察覺到,固執於自己的觀點而無法看見的東西,站在他人的立場的話,即使只是改變少許角度去看,也能因而令自己產生新的思考與感受。

在拙作《香港 何去何從》中也有介紹過,周保松先生於他的著作《小王子的領悟》中這樣提到:

(下文的介紹並未引用該書的原文,只是按其文意內容的撮寫)

「雖然理解是很重要的,但人類基於同感而去理解並不容易。現代的都市生活裡,許多人都是孤獨地活著。孤獨的原因是,缺乏對他人的理解和顧慮。那麼,怎樣才能有效地進行理解呢?為何要達到卻如此的難呢?」

「一般而言的同感,是我們用想像力去達成的。對他人的這種理解,即是,以想像令同感發揮機能,是有先決條件的。我們必須有與他人同樣的經驗。」

然而,視力正常的人無法理解失明的人的人生。所有的人都難逃一死,卻不能理解赴死的人的痛苦、無法分擔他們的孤獨與恐懼。因為,我幾乎不可能得到接近他們的經驗。那麼怎樣做才好呢?

周保松是這樣解答的。

「面對他人的痛苦,最重要的並不是強迫自己去理解,而是承認自己的無能為力。然後,站在親人和朋友的身邊,向他們表達無論甚麼狀況,都會與他們同行。」

「這也算是理解的一種吧。」

周保松在香港中文大學任教,亦以社會實踐者的身份參與示威,與學生及市民對話。他指是在雨傘運動被捕、身心俱疲之際,重讀了《小王子》。

對於周保松,有不少批評指他是「知識份子在賣弄理想主義」。然而,在撕裂的社會中,周保松明白到不同立場的人難以互相理解,承認自己的無力、視陪伴他人亦為一種「理解」的這個態度,令我想為他打氣。

聖修伯里在納粹德國的時期寫下了《小王子》。周保松在暴政當道、絕望的情勢中,為守護「家」而挺身而出、戇直而勇敢的香港人,獻上了這本書。

Ching指出人類在自己一般的180度視野以外,獲取剩下的180度情報需要他人的協助,批評近來在香港的傳媒自我審查、針對記者的攻擊、收緊公司查冊等,隱瞞真相、剝奪市民的知情權。這樣的社會狀況中,雖然無力感及絕望感有增無減,但想在壓抑的空氣中尋找出口的話,會發現有人在黑暗中仍然嘗試尋找光芒。

「只要一息尚存,便不應如此快便氣餒。」

原來這樣呀。這樣就是所謂生存呀!我們正在呼氣吸氣,這就是確實正在生存的所謂證據。雖然是理所當然的事,我卻被提醒了這正是何其重要。

不過,即使想要嘗試去理解他人,想要嘗試去改變視野,也必定會有難以做到的時候。受傷、心痛、無可奈可的時候也必定會出現。在這樣的時候,與正承受同樣苦楚和傷痛的人們互相分擔,整理思緒就可以了。之後的事,容後再想就好了。這點也是Ching教會我的。

 

香港滞在中に「中国」と「香港」の違いを、最も肌身で感じた場所だ。西九龍の地下、黄色い線の先に広がる香港基本法の及ばぬ空間には底知れぬ恐怖を抱いたことを今もよく覚えている。裏を返せば、2019年当時の香港(火炎瓶や催涙弾の飛び交う)や香港基本法に対して信頼を抱いていた、ということでもあるのだろう。もちろん、本来は火炎瓶や催涙弾が飛び交わない社会を目指すべきだ。しかし、私にとって2021年現在の今の香港に信頼を寄せることは、香港の人々がニューススタンドで蘋果日報を手に取ることと同じほど至難なことになってしまった。――Age.I

撮影:Age.I  2001年生まれ。小学生の頃にいじめを受け不登校に。また、これが原因となりPTSDに罹患。以来、自分自身を苦しめる「暴力とはなにか」を問い続ける。2019年 民主化運動下の香港には2度の渡航、計3週間の滞在。

■中文■(訳・Esther)

這是我在香港逗留期間,最切身地感受到「中國」和「香港」的差別的地方。高鐵西九龍站的地下,沿著黃線延展、香港基本法無法規管的空間中那深不見底的恐怖,至今仍然記憶鮮明。從另一面來看,2019年當時汽油彈和催淚彈紛飛的香港,對香港基本法大概仍然抱有信賴吧。當然,本來應該以沒有汽油彈和催淚彈的社會為目標的。然而,對我而言,對2021年的香港抱有信賴,與香港人在報攤中買得到蘋果日報一樣,變成了極其困難的事了。――Age.I

攝影:Age. I 2001年出生。小學時期被欺凌,其後拒絕回校上課,並因而罹患PTSD。自此以來,不斷探究折磨自己的「暴力」到底是甚麼。在2019年兩度前往民主化運動下的香港,合共逗留了三星期。


Esther エスター 日本留学経験あり、香港在住

あこともこ 現代中国研究、社会学、比較教育学

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