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難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-

番外編    by   Age. I

個人的な苦悩

私は香港社会に属している人間でもなければ学者でもない。ただの学生だ。香港の現状に対して思うことは多々あるが、所詮は無責任な傍観者でしかない。こうした場で直接的に何かを語る立場ではないと自認している。少なくとも、求められてはいないだろう。

しかし、香港で様々な光景を目撃してきた身としては黙っていることも無責任であると思う。なので、可能な範囲で綴ってみたが分かりずらい箇所も多々あるかと思うので、最後に私の視点について補足しておきたい。

私の香港に対する視点は学校で受けたいじめとその後の経験に起因する。特に教育行政側の事後対応の杜撰さはいじめ以上に筆舌し難いものであった。彼らは同じ日本語を話しているはずなのに全く言葉が通じなかった。

少なくとも当時の私はそう感じていた。特に「教職員」が、自らが教壇で教えている「正しいとされる言葉の使い方」とは異なる言葉の用い方をしていたのは衝撃的であった。

それまで私自身が学校で学んできたことは何一つとして信じられなくなったし、人間を信じることも出来なくなった。これが俗にいう「霞ヶ関文学」との出会いであった。その後も長らく霞ヶ関文学と対峙せねばならなかったのだが、そのような環境に長らく身を置いてしまったがゆえに「相手の視点から言葉の意味を吟味すること」を身につけてしまった。相手の放った言葉の表面上の意味と実際の行動に乖離が存在していても、傷付かなくて済むからだ。

相手の視点から言葉の意味を吟味することは他者と共に生きる上では必要不可欠なことだ。しかし、それは「言葉から相手の思考を辿ること」でもある。それゆえに、残念ながらも一見理解し難い加害的な言動を理解できてしまうことも多い。そんな自分自身に対しては常々嫌気が差す。やましく言葉にするのも憚られるが、2019年以来の香港政府の言動も私が対峙してきた霞ヶ関文学と同類であり理解することも苦ではない。

激戦の後も封鎖され続けた香港理工大学。黒いスーツに身を包んだアフリカ系の人々が警備を担当しており、Gun Club Hill Barracks よりも近寄り難い空気が漂っていた。上手く言葉に昇華することは出来ないが「人種概念」について考えさせられる光景だった。

 


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