難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-
その6 Noir
(建築積算士,27歲)
(つづき)
歳をとれば、昔の知り合いとはだんだん疎遠になる、ということは知っています。それでも、繋がっていようという気持ちがあれば、「集まる」ことは難しくないと堅く信じていました。
歳をとると現実に妥協もします。でも、今の社会状況のせいで、みんながバラバラさせられてしまうなんて、考えたこともありませんでした。時代が人間関係を崩してしまうこと、友人と突然に離ればなれになること、もう二度と会えなくなること、そんな全てを受け入れるのが妥協だなどとは、考えもしませんでした。
悔しいけれど、ここ数年の経験で、もう分っています――制度が変わらない限り、香港の現状を改善することなど不可能だと。とはいえ、まさにこの2年間の経験のあとでは、政府が民意に耳を傾け、何かを変えるなどという贅沢な望みを、私はもう抱いていません。
ならば、周りの友人たちが香港を離れてくことを受け入れるしかありません。
私ができる、ただ一つのことは、毎回の集まりを大切にすることなのかもしれません。それが最後の集まりになるかもしれないのですから。いったん別れたら、次はいつ再び集まることができるのか、分らないのですから。
でも、「再見」という言葉は、別れることを表す漢字の上に、未来にまた集まれると信じられるような望みを置いています。
さきほど紹介した歌のタイトルは、「さようならの練習」です。終わりのない別れを受け入れることを学ばなければならない、ということ。そしてもっと大事なのは、それぞれの別れの後も、私たちはよい人生を続けていく、ということ。将来あなたと再会することを、楽しみにしています
私たちにできることは、毎回の集まりを大切にし、その別れ際の「再見」に、いっそうの望みをかけることだと思います。
「さようならと言ったら 再会する約束だ だからまた会える」 ――《Ciao》*3
翻訳者からのメッセージ(エスター)+ from photographer (Age.I)