難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-
その7 K
(看護師,27歲)
(つづき)
この仕事を続けるなかで、今後、新たな感染症のせいで人から隔離されることになったら、その孤独に私は耐えられるのだろうか?
この孤独に立ち向かうと同時に、職場でも未知の領域からの挑戦に向き合わねばなりません。毎日のように感染が確定した人々と接し、もはやそれが日常になりましたが、幸いなことに、患者のその家族も、コロナ禍での病院の方針転換を理解してくれています。
コロナ禍がいちばん酷かった時期、救急治療室に多くの高齢者が搬送されたと報道されましたが、病棟は満員で、彼らは室外で治療を待たなければなりませんでした。
より衝撃的だったのは、遺体を置く場所すらなかったことです。これが、私のよく知っている香港なのだろうかと目を疑いました。
職場の雰囲気も、とても沈んでいた時期がありました。毎日出勤してシフトに入ると、すぐに担当患者の誰の容体が深刻かを確認し、頭の中で計算します。その患者の隔離スペースに入るときには、家族とのビデオ通話を手配する必要があるのですが、同時にビデオ通話できるタブレットの数が限られているからです。
いちばんショックだったのは、患者が世を去ろうとしているときに身内が寄り添えないということでした。本来ともにすごすべき最後の時間も、モニター越しに会うことしかできません。
臨終が迫るある高齢の男性のために、彼の妻とのビデオ通話を準備したときのことです。
奥さんも若くはなく、ビデオ通話の使い方が分らなかったため、最後は電話でつなぎました。彼女はとうとう夫の最期を看取ることができませんでした。
最も深刻だった1か月間は、入院患者のほとんどが高齢者で、毎日あるいは1日おきに、その死を見送っていました。家族の悲しく辛いお別れをビデオを通じて聞いている私も、居たたまれない気持ちでした。家族たちは状況を理解してくれ、最期を看取りたいと迫ることはありませんでした。
そんなことは、ごくあたりまえの要求なのに。
こんな職場環境で日々同僚と力を尽くしていることは、患者さん一人ひとりを丁寧にケアすること。すこしでも余裕があるときは、容体の悪い患者さんが家族と話せるチャンスをつくること、です。