難以言喻的香港生活所思 ―香港の現在、言うに言われぬ思い-
何桂藍、Facebook からの発信
(日本語訳) 阿古智子、エスター
■この文章について■ 解説 阿古智子
何桂藍(グウィネス・ホー Gwyneth Ho Kwai-lam, 1990年生まれ)は香港で生まれ育ち、中国大陸の清華大学(英文学部)に進学し、オランダの大学院でジャーナリズムを学んだ。香港の公共放送 RTHK や英国放送協会(BBC)などのメディアで経験を積み、『立場新聞』(Stand News)*1の記者として逃亡犯条例改正案反対運動の現場で積極的に取材活動を展開した。元朗襲撃事件*2では、取材中の何桂藍も襲撃されて負傷したが、彼女はスマートフォンでその状況を撮影し続けた。台湾のネットメディア『報道者』(The Reporter)の特約記者としてウクライナで「マイダン革命*3後の状況について取材したこともある。
何桂藍は2020年9月6日に予定されていた立法会選挙に、新界東地区から立候補する予定だった。民主派は各選挙区で候補者を絞り込むため、同年7月11-12日に予備選挙を行った。彼女は同区の得票率トップとなったが、「香港基本法を心から支持していない」とされ、立候補の資格を取り消された。9月に予定されていた選挙は新型コロナウィルス感染症の影響を考慮するとの理由で1年間延期された。
2021年、この予備選挙に関わった何桂藍を含む元議員や活動家など47人の民主派メンバーは、国家政権の転覆をはかったとして、香港国家安全維持法違反の罪で起訴された。何桂藍は3年以上の拘置所での収監を経て、2024年11月19日に懲役7年の判決を受けた。裁判では47人のうち45人が有罪となり、主犯格とされた香港大学元准教授の戴耀廷(ベニー・タイ)は懲役10年、本サイトで紹介した區諾軒(アウ・ノックヒン)は懲役6年9ヶ月の判決を受けた。今回紹介する何桂藍の文章は、判決の当日にFacebook上で発信された。
何桂藍は拘置所という無機質で文字のほとんど見えない、人の温もりが感じられない場所で、豊かな想像力を発揮し、不正と抑圧に直面する世界各地の政治犯と対話する。彼女は拘置所で許される範囲の読書を通じて、ベラルーシ、ロシア、中国を旅する。彼女は学ぶことをやめず、人と関わり、つながることで常に新しい視野を得ようとする。権威主義による「秩序ある」「効率的な」統治を求める声が容赦なく増大する中でも、自分たちの民主主義を守り、修復することをあきらめない。歴史は勝者によって書かれるのではなく、自由意志を持つ者によって書かれるのだから。ほとんどの収監されている民主派メンバーがとてつもない圧力を感じ、沈黙せざるを得ない状況に追い込まれている中で、彼女は強靭な精神で自らと向き合い、自らの言葉で、自らの考えを表現し続けている。
※本記事のトップ画像は何桂藍氏のFacebookより転載。2020年の民主派予備選の呼びかけがそのまま掲示されている。右下の「35+公民投票」は獲得目標(立法会定数の半数議席35)超えをさす。
※以下、Facebookの投稿には1~39の通し番号がついており、原文は1~30が英文、31~39が繁体中国語文(本サイトでは、投稿文の一部を使って編集部が小見出しを配置しました。)
私がマリア・コレスニコワについて初めて読んだのは
1.私がマリア・コレスニコワ*4について初めて読んだのは、処罰される前のことだった。国境でパスポートを破り、国外追放を拒否し、亡命よりも刑務所を選んだという話や、刑務所の独房生活のささいなエピソード――プロのフルート奏者らしく、頭の中をフルートの音色でいっぱいにして過ごしているということや、8割がた没収されても手紙を書き続けた、ということなど。
2.2020年から2021年にかけてのベラルーシでの抗議活動は、投獄される前の私がリアルタイムで追いかけた最後の運動だった。抗議活動家たちは2019年の香港の運動の「Be Water」戦術を採用し、この地域で急速に広まった。その数年後、ベラルーシの政治犯のタイムリーなアドバイスがChatGPTで英語に翻訳され、ベラルーシの刑務所から香港の私の刑務所に届いた。
3.なんとも不思議なことだ。今日、私たちは複数の高度なコミュニケーションプラットフォームを享受しているが、人々はかつてないほど分極化している。誠実で正直な対話はますます難しくなり、危機が増大する中、民主主義がより良いシステムであるという説得力はますます薄れつつある。しかし、今、私は紙とペンだけの世界に住み、厳しい監視と数週間にわたる深刻な遅延があってもなお、真の人間関係は可能であること、そのために戦う価値があることを何度も再認識している。
4. 2019年の香港の民主化運動は、テクノロジープラットフォームを駆使した独創的な戦術が際立っており、よく知られている。これらの戦術はソーシャルメディアを通じて広まり、他の運動に適用され、開花していった。しかし、人々を結びつけ、すべての創造性を可能にするものは、テクノロジーや戦術を超えたところにある。運動自体には解釈(および批判)の余地があるが、ほぼ4年経った今日まで私の心に残っているのは、もっとシンプルなことだ。
5.人々は関与し続けている。人々は互いにつながることを熱望している。不正と抑圧に直面した人々は、勇気と決意をもって政治的に自己を表現し、闘争に参加したい、という衝動を抑えきれなくなった。しかし、それは均質化された本質主義には陥らなかった。私たちは、過去の運動の失敗から学び、コミュニケーションを取り、多様なアイデアを取り入れるために並々ならぬ努力をした。ゴム弾が頭上を飛び交う差し迫った暴力の最中でも、私たちは長く難しい話し合いを避けることはなかった。私たちは断固としてリーダーを持たず、それぞれが独自のイニシアチブをとり、運動に個人的に、かつ平等に、貢献する必要があることを強調した。私たちは偽情報に対して警戒を怠らず、噂が運動を内部から引き裂かないように注意した。
*補足注*
*1 立場新聞(りつじょう しんぶん 英語:Stand News)2014年に設立された香港を拠点とするオンラインメディア。2021年12月29日に閉業。2024年9月26日、香港の裁判所は、政府への憎悪などを煽る報道を行ったとして、元編集長2人にそれぞれ禁錮1年9か月と11か月の判決を言い渡している。
*2 ソ連崩壊後、親欧米派と親ロシア派の対立が激化し、政情不安に陥っていたウクライナにおいて、2014年2月にヤヌコビッチ政権下で起きた政変。抗議運動の激化を受けて、ヤヌコビッチ大統領はロシアに逃亡し、親欧米派の野党が暫定政権を樹立した。首都キエフ中心部の「独立広場(マイダン)」での民衆運動の盛り上がりによって政権が崩壊したことから、この政変は「マイダン革命」とも呼ばれる。
*3 2019年7月21日夜、元朗(ユンロン、香港の新界西部の街)で市民が無差別に襲撃された事件。
*4 ベラルーシの反政権活動家、フルート奏者。「政治活動家のマリア・コレスニコワさんは、抑圧的なベラルーシ政府に異議を唱え、2020年9月7日に拉致、投獄され、その後、えん罪で11年の判決を受けました」(アムネスティ日本のYoutube ベラルーシ:マリア・コレスニコワさん〜Write for Rights 2024〜 参照)