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マザーツリー イリナ・グリゴレ

子供の頃、祖母が身体を洗っているシーンが好きだった。
60歳を超えても彼女の髪の毛は腰まであったし自然な銀色に輝いていた。

お風呂はないルーマニアの農家では、身体を洗うためには儀礼的な動きが必要だった。ほとんど裸にはならない、恥ずかしいから。祖母はいつも白い綿のワンピースを着て布で身体を拭いた。使う石鹸はクリスマス頃の儀礼で殺された豚の脂と庭のハーブを使って自分で作った石鹸だった。今でも覚えているがこの石鹸は雪の匂いがした。身体を拭いたあと最後に長い髪の毛をゆっくり洗って、あたまの真ん中にまとめる。髪の毛を二つに分けて色鮮やかな紐も使って三つ編みして頭の周りにぐるぐる巻く。このシーンを何十回見ても飽きなかった。時間が止まった気がした。すぐ伝統的な布で頭を隠すので秘密的なシーンでもあった。家族以外の人に見られることは絶対にない。このイメージはずっと私の心に残った。昔話のように、その間だけ祖母は女の子の姿に戻っていた気がした。彼女の本当の姿は私にしか見えないと思っていた。

日本に来る前にこのシーンを映像に残したいと思って、すごく抵抗されながら半分隠れて撮ったけど、後で見たら不思議なことにカメラに残っていなかった。あの時初めて気づいたのは、カメラに絶対に撮ってはいけないイメージがあるということ。ルーマニアには森の中で夜中に踊っている妖精の伝説がある。男は、夜に踊る彼女たちを絶対に見てはいけない。古代ダキアから伝わる儀礼は時代の流れに失われたが、6月の24日に行われていたと祖母から聞いた。この時期に地域によっては村の若い、まだ結婚していない女性が村の各家を訪ねて、家の前で踊って豊穣予祝儀礼を行った。その夜には畑の土の上と森のなかで踊る妖精が現れるという。妖精たちはルーマニア語でsânzieneと名付けられている。黄花河原松葉(キバナカワラマツバ)の花の名前だ。黄色い珍しい花だ。村の若い女性はこの花で頭を飾る。私にとって、祖母は森の妖精にしか見えなかった。機織りで何か作品を作る時の後ろ姿もそうだった。機織り機のしたに入って見上げた糸の組み合わせと色は私には宇宙のように見えた。

あの時、祖母の身体は神秘的だった。祖母には人間の気配がなかった。全く匂いがしない身体はほんとうに珍しいかもしれない。一日中畑で働く祖母は汗をたくさん流しても全く匂いがしない。あの小さな花たちと同じ、小さくてデリケートな存在だった。

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