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ヴィヴィアン・マイヤーヘッダー画像

家事労働者とその周囲のこと 伊藤るり その2

ヴィヴィアン・マイヤー

「謎のナニー・フォトグラファー」像とその背後にあるもの

こうしてマルーフを中心に「謎のナニー・フォトグラファー」像が作りあげられていく。子どもの世話をしながら、カメラを片時も離さず、一級の写真作品をだれにも見せず、死んでいった謎のナニー。しかし、このマイヤー像は、写真学を専門とするパメラ・バノスの異議申し立てに遭うことになる。
ノースウェスタン大学で写真学を教えるバノスがマイヤー研究にかかわるようになったのは、マイヤーを取り上げるBBCのドキュメンタリー番組制作(2013年放映)に協力を求められたことによる(注2)。これを機に、バノスはマイヤーの写真が2007年のオークションで落札した複数の人びと、さらにそこからeBayを介して入手した人びとのあいだで分散して所有されていることを把握する。そして、大別してマルーフほか計3名——全員男性——のコレクションが存在することを。

バノスの研究は、これらのうちアクセス可能だった数万枚の作品を1枚1枚丁寧に分析、可能な場合にはプリントとネガを照合し、マイヤーが用いていた複数のカメラの種類、撮影方法や技術の変化、さらにはプリントの裏などに記された日時や場所などのメモを手がかりに彼女の足取りをたどるもので、その成果として『ヴィヴィアン・マイヤー——ある写真家の生涯と没後に起きたこと』(Vivian Maier: A Photographer’s Life and Afterlife, University of Chicago Press)を2017年に刊行している。

その序文の冒頭では、コレクターたちがマイヤー本人の生前における意思(マイヤーは雇い主に自分の部屋に鍵をつけることを要求し、作品をだれにも見せなかった)を度外視し、あるいは相続人の所在を確かめることなくビジネスに走り、巨額の利益を得てきたことが痛烈に批判されている。そしてこの研究が、写真家であり、ひとりの女性であるマイヤーのエージェンシー(行為主体としての能力)を尊重し、従来のマイヤー理解への対抗的ナラティブを構築するものである、と記している。

バノスにとって、オークション業界の男性バイヤーによる女性写真家の作品の占有は一種の「ブロアプロプリエーション」(女性のアイディアや業績の男性による搾取、横奪)として位置づけられていることがわかる。搾取という表現こそ用いていないものの、そこに指摘されているのは倫理的、そして法的な問題である。
バノスは、コレクション横断的に写真を点検するうちに、マルーフらが定式化してきたマイヤーの履歴にいくつかの重大な誤りがあることを発見している。


ひとつだけ例を挙げると、マイヤーが初めて母親の故郷であるフランス・アルプス地方の山村、サン=ジュリアン=シュル=シャンソールを訪れたのは1950年(25才の時)で、1年程度の滞在期間にカメラをいじるようになり、スナップ写真を残し、翌年ニューヨークに戻って、ストリート・フォトグラフィーを嗜むようになった――というのが、マルーフらの説だ。だがバノスは、マイヤーが母親に連れられて初めてフランスを訪れたのは1932年、6歳の時で、この時には12才まで滞在し、フランスで初等教育を受けていたことを突き止める。マイヤーがフォーマルな教育を受けたのはこの6年間のみであった可能性が高い。

またバノスによれば、1950年にマイヤーが撮った写真は素人のスナップ写真などではなく、明確な問題意識のもとに異なる方法を実験的に用いた写真群である。マイヤーがそれ以前にある程度写真に親しんでいたとしか考えられない。

バノスの研究は、写真技術やカメラの性能の変化、あるいは社会における写真の位置づけといった写真史の中にマイヤーの作品を文脈づけ、そのことによって初めてこれらを正確に価値づける。その興味深い論点の詳細を紹介することは、専門外のわたしの能力をこえる。ただ確かなのは、マイヤーの作品が異なるコレクション間で所有され、研究者のアクセスが不当に制限されると、その全容解明は困難となり、「謎」のまま留め置かれてしまうということである。

マルーフらコレクターたちのマイヤーへの関心は、なぜ一介のナニー(女)がプロの(男の)写真家を唸らせるような写真を撮るようになったかという問いに始まっている。そこにはナニーごとき職業にある女にはアートとしての写真は無縁なはずだ、という暗黙の前提があるだろう(注3)。これに対して、バノスの研究はこれを逆転させ、なぜ才能にあふれた女の写真家がナニーの職を求めながら写真を撮りつづけたのかという新たな問いを導き出すが、この点については次回に期すことにしたい。

・写真はいずれも著者撮影


1)作品は「レ・ドゥーシュ」のサイトで見ることができる(アクセス日:2020年3月22日)

2)BBCの番組Vivian Maier. Who Took Nanny’s Pictures, June 25, 2013.(70 min, Director Jill Nicholls) は下記サイトで視聴できる。(アクセス日:2020年3月19日)
http://editorium.co.uk/imagine-vivian-maier-who-took-nannys-pictures/
バノスによれば、マルーフもまたこの番組に協力するようBBCに要請されたが、ほぼ同時期に「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を制作中だったことから辞退し、所持している写真の提供も断った。

3)ニューヨークで働くナニーに関する森千香子の論考の冒頭には以下のような印象深いナニーの言葉がある。「通りで男性に声をかけられ、はじめは丁寧な態度だったので誘いに応じました。それで会話をしていたら『仕事は何してるの?』と聞かれたので、ナニーだと答えたら、途端に相手の態度が豹変して、見下した目つきになった。同じようなことが何度もありました。この街は金持ちの街、弁護士や金融業者の街、だから収入や職業で判断されます。」(「移住女性のエンパワメントと地域コミュニティ組織の役割――ニューヨーク市ワーカーズ・コープ結成支援の事例を中心に」伊藤るり編『家事労働の国際社会学——ディーセント・ワークを求めて』人文書院、2020年、289頁)。

いとう るり 国際社会学、国際移民の社会学、グローバリゼーションとジェンダー

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