春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その1
穏やかでいるしかないということもある。
障碍は重く、そこでの目標は「治る」ということでは残念ながらあり得ない。
できれば少しでも「軽く」。それは本人や親にとっての願いでもあるが、実は社会全体に要請されているむずかしくしかし広汎な目標とも係わっている。
ひさしぶりかも知れないなあ。
この体育館・講堂には実にさまざまな姿勢や体勢の子たちがいて、春浅い陽射しは高窓から射し「生きている」という湯気のようなものがたゆたうのが見える。世の中がいまのところ「奇声」としか呼ぶ言葉を持たない声もいろいろな方向に交差し合う。かぼそく、あるいは力強く。
そうか、ではどんな言葉でその声たちを呼ぼうか、僕は。そんなことを考えている。
そして娘の響がこちらを振り返ったそのとき、おどろくべきことが起きる。それは実に、父としての僕には初めてのことだった。