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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その4 堀切和雅

この本がいまも生きているわけ

とうとう子どもが生まれてきてくれるとき、ただ無事にと人は希うだろう。そしてふつうに。
けれどその子にとくべつな困難があると知ったとき、あるいは育ちの中で次第にそうと気づいていくとき親は「二重の喪失」を味わうことになる。

ひとつは、目の前のこの子が現実に無事生きることはできないかも知れないということ。もうひとつはこの子がもし健常に生まれていたら、あったはずの人生というイメージ。
たいていの親は、新しくこの世に来た命とともに自分の暮らしも、世界までもが新しくなると漠然とであれ思う。花や空の色の微妙を感じる子どもに育てよう。他者の気持ちがわかり、そして強い人になってくれるといいな、とか。想いはどこまでも拡がる。
娘がいよいよ生まれてこようというとき僕は「苦手だった算数を小一から一緒にやり直そう」とかってに決心していた。
そんないろいろをていねいに、あきらめて行かなければならない。

娘の響は生後四日目に原因不明の痙攣を起こし、産院から大病院へ救急搬送される。NICUの二週間のあいだ、僕ら夫婦はインターネットで膨大なネガティヴ情報に行き当たり続けたが、なかでも恐ろしかったのはミトコンドリア病というものだった。運動・精神発達遅滞。そして一歳か二歳くらいまでしか生きない?
まさにそのミトコンドリア病だと分かったのは、娘が十ヶ月になった頃。

僕は青年期の終わりから田中先生のカウンセリングを受け始めていて、その時にはもう数年に至っていた。生きること、何かを選ぶということ、その限界、そんな話を面談時間の契約の中でする。約束の枠を破ったことはない。が、診断を聞いたその日は立っても座ってもいられぬ焦燥に胸は灼け、耐えきれず出張先の新幹線のホームからクリニックに約束のない電話をかける。
果たして田中先生は、直接電話に出た。

この子は話をできるようになるのだろうか。動作も発語も「ふつう」には発達しない響をピクニックの野原に寝かせ、夕陽に染まるルームミラーのチャイルドシートに見ながら、幾度も幾度も想った。
田中先生に、響とも会っていただく。先生は響に語りかけ、遊び、診たて、はっきりと言う。
「響さんは言語を獲得すると思います」

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