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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その5 堀切和雅

響は、僕ら夫婦の掌のなかにふたたび手渡された。
NICUでの2週間の入院を了えても、あの痙攣はなんだったのか、なにも解ってはいない。
柔らかいおくるみに包まれたまだ小さな響。とにかくにもそーっと、そーっと、ゆっくりの車の運転で広尾から、目白の家に連れ帰る。

街路とは厚いサッシで隔てられ、狭いけれども静かな部屋。その日迎えに出かけて行くときから調整しておいたエアコンが、しんしんとしている。ベビーベッドを組み立ててここに設えたのが、まるで百年前か、そうでなければいつかの未来のよう。
落とさないようにそっと、まだ固まっていないはずの頭蓋にはとくに気をつけて掌をあてて、ふわっと、響を寝かせる。

眠っているのだろうか。うん、眠っている。
思い切って引っ越した新しい僕らの家に、やっと、響がいる。
もちろん陽子のお腹の中にいるときにも、彼女はずっとここにいたのだけれど、ね。

出産から間もなく14日間も母子が離れていたせいなのだろう、母乳が出にくくなったようだった。粉ミルクを試していくことにした。哺乳瓶の消毒は、ミルトンというのでするのだな。次亜塩素酸ナトリウムか。これだけ希釈するのだし害もなかろう。そういえば僕らが赤ん坊の時代には、これをいちいち煮沸しなければならないわけだったのか。ミルトンの方は漬けるだけで簡単だから、哺乳瓶の消毒は僕がいれば僕の役割。

響が眠っていて、夜僕らも眠るとき、きゅうに心臓が停まったりしないだろうか、ことん、と。なにが起こるか分からない。あらゆる、次の瞬間に。産院でのあの時にも、そうだったのだから。

西武百貨店の輸入乳幼児用品の売場で、ベビーベッドのシーツの下に敷くマットを買う。結構な値段だった。けれどもなにが起こるか分からないのだから。マットにはセンサーが仕込まれており、それが赤ちゃんの動きを常に感知している。そして一定の秒数呼吸を含む何らかの動きがない場合、親機に無線が飛んで警報が鳴るのだ。
だけどもし警報が鳴ったら、どうすればいい?

乳児の心臓マッサージは、掌ではなく指2本で行う。まだ柔らかい肋骨を折らないように、軽く、身体の厚みの3分の1を目安に。
そんなことを、調べている。

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