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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その5 堀切和雅

後期授業が始まり、会うのは18歳から20歳くらいの学生たち。自分でも、あまりに先取りした心配でアタマおかしいんじゃない? と思ってはいるが、思ってしまう「響は彼女たちのように、なれるのだろうか?」。

広尾の日赤医療センターには、毎月一度の検査に通う。脳波をとり、時にMRIを撮るのだが、頭にいっぱい電極を貼り付けられ眠らされた響から機械を介して、吐き出される紙 にどんどん描かれていくぐじゃぐじゃした線の意味は、素人にはまるで分からない。

しかし何ヶ月かすると、入っちゃいけない脳波計の室までどしどし入り込んで、こんなことを僕は検査技師に話しかけている「スパイク(棘波)はとくにないようですね!?」。
その字面の通り棘波とは徐波や速波の海鳴りのなかに時折尖って出現する不規則な波であり、発作の前兆である(こともある)のだ。

脳波室は暗い。瞑っている瞼にストロボの点滅を当て、反応の波の様子を診たりもする。まだ小さいが神経細胞の数は大人よりも多いという赤ちゃんの脳。響の脳内の大海はいま暗くうねり、波頭から突如躍り上がる、カマスに似た鋭い線をもった魚。
傍らで僕はそんな想像をしている。
黒いその魚は海上に翻り反転してその切っ先から波間に突っ込み、また深海へと沈む。

検査と検査の合間の日々にも、晴れて穏やかな日であれば出かけた。移動はいつも車で。赤ちゃんはみなそうなのだとも思うけれども、響はとくにこわれもののようで、人が大勢いるところには連れ出す気にはなれなかった。

3人で出かける場所は決まっていて、明治神宮の森の裏手の方にある広い芝生。ところどころ斜面になり柔らかな丘が重なるようで、また樹木も点在して美しい。そばまで自動車で入っていけることは、その頃はそれほど知られていなかったと思う。
また、都会で暮らす若い人はあまり車で移動することはないだろうし、そもそも芝生以外何もないそこで散歩やピクニックをするよりも、みんな他に行くべきところがいっぱいあるのだろう。

騒音とも雑踏とも離れ、森に護られた清潔な場所。そんな一隅をうまく見つけた。 実はこの場所を知っていたのには理由がある。結婚式を明治神宮で行ったから。

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