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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その6 -1 堀切和雅

思い出す。響はほんとうに、手指の力もよわかった。

赤ん坊のとき、おもちゃや縫いぐるみを、目では追っても握ろうとしなかった。広尾の日赤病院に検査に5ヶ月通っていったん「生まれた直後の痙攣の原因はわからない」となったのだが、それでもやはり普通ではないのでは? とあちこちの小児神経専門医を訪ねたのも、手を使おうとしないのが気になったからだった。

響は、興味はあっても、自分では触れず、握れないでいたんだな。あるいは手指が上手く動かないと、触ろう、握ろうという意欲そのものがうまく育たないのかも知れない。

幼稚園に入った年の秋の明るい日。近隣の畑で芋掘りの体験があったのだが、さつまいもがもう半分以上土の底から出ていても響はそれを掘り出せなかった。

「おいもさん、出ておいでー!」

と声は無邪気に、指は見ていてもどかしくなるほど力が入らず、土を撫でるようにする。最後は先生も手伝って、

「おいもさん、出てきたね」
「よかったね」

その頃の響はある番組の取材を継続的に受けていたので、僕はそんな場面を知ることができた。

「作業」では染色や紙工を、それぞれができることを見つけて習う。
その後響は、案外と上手にできた絞り染めのTシャツや、ちょっとした紙細工を時折、家に持ち帰ることになる。僕が帰宅すると、聞きつけた響が廊下を不安定に駆けながらやってくる。

「パパ! これひびちゃんがつくったんだよ!」
「すごいねえ。色がいいねえ。ちょっと待ってね、手洗いとうがいするから」「待ってってば!」

「ロングホームルーム」ではみんなで教室のいろいろな役割分担を決めたり、その時その時のテーマで話をするらしい。

「グループ学習」ではそれぞれ勉強をする。できることは皆違うから、課題も皆違うようだ。持ちかえったノートを見てみると、響は枡目からはみ出しそうな文字で繰り返しの漢字練習をしたり、かけ算の筆算に挑戦したりしている。手順を覚えるのが先立って数の概念そのものはうまくつかめないようだけど、一生懸命に、たくさん書いている。

 


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