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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その6 -1 堀切和雅

響は、普通学校における特別支援教育が本格化したタイミングで、小学生になることになった。2007年、国内法制の準備が整ったとして、国連の「障害者の権利に関する条約」を日本政府も漸く批准したことがその強い背景として、ある。

普通学校における特別支援教育を形ばかりではなくやろうとしている公立小学校はどこにあるのか? それを重要な要件として、響が入学するその年に僕ら家族は目白の家から、郊外に引っ越しもした。

それは幼児から少女に向かう時期の響の生育に、大きな影響をおよぼした選択だったと、あとになって言える。響はしっかりと学校と友だちに受け入れられた。

普通学校に行っていた小・中学校時代は勉強も運動も、歩いたり着替えたり普段の行動をすることも、響はもっとも「できない」子だった。

ところがこの特別支援学校では、比較的話せる・動ける生徒として、クラスに溶け込んでいる。能力の優劣の話をしているのではもちろんない。手伝ってもらうという役割のほかに、手伝うという役割が響にできたのだ。

いや、初めて「できた」のではなくて、それがはっきりして見えるということ。どの子にも特徴はあるなかで、響の愛嬌とか隔てのなさ、親愛の情を素直に示すという特性が、ここで発揮される場を、関係性を得ている。

繰り返しのようだけれども「友だちや先生を助けてあげる」方がえらいとかそういうことではない。響は幼稚園時代には逆に「助けてあげたい子」「手伝ってあげたい、ちょっと赤ちゃんっぽい子」としての役割をしていた。その幼稚園という場では響の特性が、そういう個別性として現れていた。

ここでも、見ているとより動けない、発語の難しい子も「いる」ことで、みんなの中での位置があることがわかる。ちがうな、ただ見ていて分かったのではない。響が隔てなくしていることで、気づかされたのだ。


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