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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その6 -2 堀切和雅

この時期、響が中学二年生のときに、実は彼女が入学することになる特別支援学校の人たちに響と僕ら両親は出会っている。

その時は少なくとも僕はその仕組みをよく理解していなかった。連れ合いは分かっていたと思う。子どもに関わる制度を、それがどんなにややこしく見えても正確に理解しなければならないのは、結局はその子の毎日をより主に支えている保護者、僕らの場合には連れ合い、ということになる。

その後実際に特別支援学校へ入学する運びになる頃から、学校の活動に関するさまざまなプリント類を頻繁に見るようになった。見ると、この学校には小学部、中学部、高等部という年齢による区切りの他にもさまざまな「部」がある。自活部、訪問部、院内部、寄宿部など。

もちろん別個に校舎やスペースがあるわけではなく、人が、必要に合わせてどう動くかという活動の上での区切り。

この「自活部」を担当する教職員が響の通う中学校を「通級指導」で訪れた、という経緯だったのだ。普通学校のなかの特別支援学級に在籍する子に、特別支援学校の側からアウトリーチするというのが「通級指導」で、それが響が中二の頃に僕らの地域では実行段階に入ったということ。

普通学校における特別支援学級の担任等は障碍の児の療育について専門的な知識を持っているというわけでは基本的にないので、そうして知識や考え方、技術の伝播をしていく。まっとうなことだ。もちろんその機会と時間は、じゅうぶんなものではなかったけれど。しかし響のところに来てくれた「通級指導」担当員たちには機知と熱意があった。

薦めていただき、特別支援学校の見学に行く。そしてあとで思えば見学したのはこの稿の最初の方でも触れた「自立活動」の場面だった。

ひとりひとりの調子をたしかめ、声かけをしているのは通級指導に来てくれた教職員たち。響も参加させてもらう。帰りの車の中、いくらか頬を上気させて響は「楽しかった」と言ったのだった。


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